フ盲目力がいっそう力強く感ぜられた。なんという取り返しのつかぬ不調和な地位に置かれたる生であろう! 私はこの痛ましき生をまじまじ見守りながら、それでも引きずられるようにして生きてゆかねばならなかった。この頃私にとりては愛ほど大きな迷妄はなかった。また犠牲ほど大きな生活の誤謬はなかった。この二つのものは私には全く理解せられなかった。私はキリスト教徒について愛の話も聞いてみた。また書を漁《あさ》って犠牲の理論も読んでみた。けれども皆私の心を動かす根本的の力を欠いていた。なぜというに私の利己主義はその根を認識論の上に深く張っている。私が唯我論から利己主義に達する過程は論理的必然の強迫である。私を利己主義から離れしむるものは私の独我論を根底より動揺せしむる認識論でなければならなかった。
しかしながら悲しいことには私は形而上学的に叙述された愛と犠牲との書物に接することができなかった。すべては曖昧なる不徹底なるまがいものにすぎなかった。自己存在の深刻なる覚醒もなく、他人の魂の底に侵徹してその存在に触れたる意識もなく、ただ漫然として愛と犠牲とが主張されるのが私は不思議でならなかった。かくのごとき愛がいかばかり力と熱と光とを生命の底より発せしめ得るであろうかを疑った。西田氏は熱心なる「愛の哲学者」である。その氏はしかも愛を骨子とする宗教論のなかに「本質を異にせるものの相互の関係は利己心の外に成り立つことはできないのである」といってる。私は自己存在に実在的に醒めたる個人が、他人の存在を徹底的に肯定するときにのみ、まことの力ある愛は生ずるであろうと思った。しかしながら私はいかにして他人の存在を肯定することができたであろうか。私はいかにして私が自己の存在を肯定するごとく、確実に、自明に、生き生きとした姿において他人の存在を認識することができたであろうか。そして自他の生命の間に通う本質的関係あることを認めることができたであろうか。私は思い悩んだ。そしてこれらのことは唯我論の基礎の上に立ってはとうてい不可能な望みであることを感ぜずにはいられなかった。そこで私は唯我論に私のできるだけ周到な吟味と批判とを加えてもみた。けれども私はどうしても唯心論の帰着点を唯我論に見いだすほかはなかった。そしてその立場より対人関係の問題を覗《のぞ》くとき、究極は個人主義を透して、極端なる利己主義に終わらざるを得なかった。
今から考えればこの頃の私の生き方はたしかにインテレクチュアルにすぎていた。その思索の方法も情意を重んぜぬ概念的なもので必ずしも正しかったとは思わない。けれども自己の生活を「実在」の上に据え付けようという要求は形而上学的な私の唯一の生活的良心であった。私とてもただ充実して生きられさえすればよかったのである。けれども生きんがためにはそうしないではいられなかったのである。私は私の実際生活の上に落ちかかったこの大問題に貧しい稚《おさな》い思想をもって面接することを、どんなに心細くもおぼつかなくも思ったであろう。苦しんでも悶えてもいい考えは出なかった。先人の残した足跡を辿って、わずかに nachdenken するばかりで、みずから進んで vordenken することなどはできなかった。私はこんな貧しい頭を持ちながら考えなければ生きられない自分は何の因果だろうかと思った。私はとても適わぬと思った。けれども何事も生きんがためじゃないかと思うとき、私はじっとしてはいられなかった。私は子供心にも何か物を考えるような人になりたいと思って大きくなった。私は leben せんためには denken しなければならないと思った。
生命と生命との接触の問題は宇宙における厳粛なる偉大なる事実である。私はこの問題に対して忠実でありたい。私はこの問題に対して曖昧な虚偽な態度はとりたくなかった。私は稚いながらも私の信ずる真理の道を進もうと思った。
かくて極端なる利己主義者となった。それもショウペンハウエルの底気味悪き思想を潜りて出でたる戦闘的態度の利己主義であった。初めより生の悲痛と不調和とを覚悟して立ちたるデスペレートな利己主義であった。私は戦っておよそ Egoist の味わい得べきほどのものをことごとく味わい尽くして死にたいと思った。私はその頃の私の心の怪しげなる緊張を忘れることができない。私の生命は血の色に漲《みなぎ》っていた。ほしいままなる欲望にふくれていた。私は充たされざる性欲を抱いて獣のごとく街を徘徊しては、昔洛陽の街々に行なわれたる白昼の強姦のことを思った。魯鈍なる群衆の雑踏を見ては、私に一中隊の兵士があれば彼らを蹂躪《じゅうりん》することができるなどと思った。私の目の前をナポレオンと董卓《とうたく》と将門《まさかど》との顔が通っては消えた。強者になりたい。これが私の唯
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