った。夏川静枝も処女出演した。
上演は入りは超満員だったが、芝居そのものは、どうも成功とはいえなかった。作者としては不平だらだらだった。しかし舞台協会の諸君は人間として純情な人たちばかりで、私とも精神的な交感が通っていた。
映画にとりたいという申込みはそのころよくあったが私はことわってきた。そのころの映画はまだ幼稚だったし、トーキーもなかった。
トーキーでやれば、『出家とその弟子』は、きっと成功すると私は思っている。それはこの作が芝居で困難なのは動きの少ない対話のシーンが多いからだが、映画なら大うつしがきくし、トーキーならその単調さが救われるからだ。寺の本堂、廊下、仏像なども立体的に、いろいろな角度や、光りでとれるからだ。それは『アジアの嵐』などでもわかる。どこかですぐれた監督が映画にするといいと思う。一昨年PCLから申込みがあったが、どうしたわけかそのままになっている。
芝居では村田実の唯円には、音羽かね子がかえでをやり、山田隆弥の唯円には岡田嘉子がかえでをやった。森君の善鸞はよくやってくれた。やはり第一幕の日野左衛門の内と、第三幕の善鸞遊興の場と、四幕の黒谷墓地とが芝居として成功する。ハンドルングが多いからだ。しかし監督がよければ、演出次第で芝居としても成功しないはずはないと思うのだが、どういうものか。
ともかくもこの戯曲は純情がどれだけの作を産み得るかの指標といっていいだろう。それを取り去れば、この作はつまらないものだ。だから反言や、風刺や、暴露の微塵もないこの作が甘く見えるのはもっともである。
人間が読んで、殊に若い人たちが読んでいつまでも悪いことはない、きっとその心を素純にし、うるおわせ、まっすぐにものを追い求める感情を感染させるであろうと今でも私は思っている。
しかしいつまでも私に『出家とその弟子』のような作を書けと注文するのは無理だ。私はもっと塵にまみれて真理を追いつつある。世間にもまれ、現実を知り、ことに今日では貧苦の中に生きつつ国民運動もしている。しかし一生純情と理想主義とを失いたくない。
『出家とその弟子』を読んだ人は是非『恥以上』(改造社発行)を読んでいただきたい。私といえば『出家とその弟子』をいわれるのは私としては有難迷惑だ。私はひとつの境地から、他の境地へと絶えず精進しつつあるものだ。そしてその転身の節目節目には必ず大作を書い
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