、中年の英国の将校が、僕を背後から追い越した。
「あ」と僕は思わず声を立てた。
と云うのは支那美人が宋思芳と、非常に顔が似ていたからであった。
すると支那美人も僕の顔を見たが、思い做《な》しか表情を変え、驚きと懐しさを現わしたようであった。
しかしその儘歩み去ってしまった。
友よ、こんな際、その支那美人の後を、僕がどこまでもつけて[#「つけて」に傍点]行ったところで、不都合だとは云わないだろうね。
僕はその後をつけて[#「つけて」に傍点]行ったのだよ。
と、その一行は町の入口の、かなり立派な屋敷へ入った。
屋敷の門際に英国の兵士が、銃を担いで立っていたので、僕はその一人に訊いてみた。
「今行った将校は誰人《どなた》ですか?」と。
「参謀長グレー閣下」
「ご一緒のご婦人は奥様ですか?」
「奥様ではない、愛人だよ」
英国兵などは気散じなもので、微笑しながらそう教えてくれた。
僕はその夜町の中央の、××亭という旅館へ泊まったが、どうにも眠ることが出来なかった。
そこで町を彷徨《さまよ》った。
もう明け方に近い頃で、月が町の家並の彼方、平野の涯へ落ちかかっていた。
と、不意に道の角を廻り、この辺りに珍しい二頭立の、立派な馬車が現われたが、その上に海軍の将校服をつけた、半白の髪をした英国人と、支那少年とが同乗していた。
僕は以前上海の地で、英国の水師提督エリオットを、一二度見かけたことがあって、容貌風采を知っていたので、馬車中の老将校がエリオットであることを、僕は早くも見て取ることが出来た。
娼公、俳優とでも云いたいような、艶かしい装いをした支那少年は? エリオットと同乗していた支那少年は? 友よそれこそ宋思芳だったのだ!
その証拠にはその少年は、僕を見かけると微笑して、軽く一揖《いちゆう》したのだからね。
では先刻の支那美人は! グレーと同伴していた支那美人は?
解《わか》らない! 解らない! 解らない!
僕は上海へ帰って来た。
鎮江は容易に陥落しなかった。
いろいろの噂が伝わった。鎮江は揚子江の咽喉で、地勢は雄勝で且つ奇絶、頗《すこぶ》る天険に富んでいる。そこへ清軍の精鋭が集まり、死守しているのでさすがの英軍も、陥落させることが出来ないのだと、そういう人間があるかと思うと、水師提督のエリオットが健康を害し、かつ頭を悪くして、昔日の
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