ぼね》へ納《い》れられることになった。秋海棠が後苑に咲き、松虫が籠の中で歌う季節、七夕月のある日のこと、葵紋付の女駕籠で、お杉は千代田城へ迎えられた。お杉の局と命名され、寵を一身に集めることになった。もうこうなっては仕方がなかった。下様の眼から見る時は、将軍といえば神様であった。神様の覚し召しとあるからは、厭も応も無いはずであった。
で、お杉は奉仕した。しかし心では初恋の人を、前にも増して恋い慕った。逢うことも話すことも出来ないと思えば、その恋しさは増すばかりであった。洵《まこと》に彼女の境遇は、女としては栄華の絶頂、夢のようでもあれば極楽のようでもあった。もし彼女に三之丞という、忘られぬ人がなかったなら、満足したに相違ない。恋の九分九厘は黄金《こがね》の前には、脆《もろ》くも挫けるものであった。しかし、後の一厘の恋は、いわゆる選ばれた恋であって、どんな物にも挫けない。選ばれた人の運命は、大方悲劇に終るものであった。それは浮世の俗流に対して、覚醒の鼓を鳴らすからで、たとえば遠い小亜細亜の、猶太《ユダヤ》に産れた基督《キリスト》が、大きな真理《まこと》を説いたため、十字架の犠牲になったように。……で、お杉と三之丞との恋は、選ばれた人の恋であった。反《そら》すことの出来ない恋であった。
将軍家斉は風流人、情界の機微に精通した、サッパリとした人物であった。お杉に三之丞がなかったなら、恋さないでは居られなかったろう。
後宮の佳麗三千人、これは支那流の形容詞、しかし家斉将軍には事実五十人の愛妾があった。いずれもソツのない美人揃い、眼を驚かすに足るものがあったが、しかしお杉に比べては、その美しさが及ばなかった。で、家斉は溺愛した。しかるに日を経るにしたがって、家斉はお杉の心の中に、秘密のあることに感付くようになった。相手を愛するということは、相手を占有することであった。愛は完全を要求《もと》める点で、ほぼ芸術と同じであった。占有出来ないということは、愛する人の身にとって、堪え難いほどの苦痛であった。で、家斉はどうがなして、お杉の秘密を知ろうとした。
ある日お杉は偶然《ゆくりなく》、宿下りをした召使の口から、市中の恐ろしい噂を聞いた。それは「夫婦《めおと》斬り」の噂であった。
「人を殺したその後で、その辻斬りの侍は、さも恋しさに堪えないように『お杉様!』と呼ぶそうでござい
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