ら一苦労なすっているらしい。油を売りになど見えられるものか」「何んでござるな、音響学とは?」相手がもしもこうきこうものなら、一閑斎は大得意で、さらに皮肉を飛ばせるのであった。「音響学でござるかな、音響学とは読んで字の如し。もっともあのじん[#「じん」に傍点]の音響学は、ちと変態でござってな、ポンポンと鳴る小鼓の音から、鼠小僧を現じ出そうという、きわめて珍しいものでござるよ」
これではどうにも聞く人にとっては、なんのことだかわからない。しかし実際郡上平八は、あの晩以来思うところあって、あの時耳にした鼓の音を、是非もう一度聞きたいものと、全身の神経を緊張《ひきし》めて、江戸市中を万遍《まんべん》なく、歩き廻っているのであった。人間の心理や世間の悪事を、玻璃窓を透して見るように、正しく明らかに見るというところから、あざ名を「玻璃窓」とつけられた彼は、老いても体力衰えず、職は引退《のい》ても頭脳は鋭く、その頭脳の働き方が、近代の言葉で説明すると、いわゆる合理的であり科学的であって、在来《ざいらい》の唯一の探偵法たる「見込み手段」を排斥し、動かぬ証拠を蒐集して、もって犯人をとらえようという「証拠手段」をとるのが好きで、若いかいなで[#「かいなで」に傍点]の与力や同心経験一点張りの岡《おか》っ引《ぴき》など、実にこの点に至っては、その足もとへも寄りつけなかった。その彼が何か思うところあって、鼓の音を追うというからには、その鼓の音なるものが、いかに大切なものなるかが、想像されるではあるまいか。
江戸を飾っていた桜の花が「ひとよさに桜はささらほさらかな」と、奇矯な俳人が咏んだように、一夜の嵐に散ってからは、世は次第に夏に入った。苗売り、金魚売り、虫売りの声々、カタンカタンという定斎屋《じょうさいや》の音、腹を見せて飛ぶ若い燕の、健康そうな啼き声などにも、万物生々たるこの季節の、清々《すがすが》しい呼吸が感ぜられた。春にだらけた人々の心も、一時ピンとひきしまり、溌溂たる[#「溌溂たる」は底本では「溌※[#「さんずい+刺」]たる」]元気をとりかえしたが一人寂しいのは平八老人で、この時までも鼓の音を、耳にすることが出来なかった。そもそも鼓はどこにあるのであろう? 二度と再びあの鼓は、美妙な音色を立てないのであろうか?
いやいや決してそうではない。鼓はこの時も鳴っていたのであった。思いも及ばない辺鄙《へんぴ》の土地、四時煙りを噴くという、浅間の山の麓《ふもと》の里、追分節の発生地、追分駅路のある旅籠屋で、ポンポン、ポンポンと美しく、同じ音色に鳴っていたのであった。
浅間の麓《ふもと》追分宿
いまの地理で説明すると、長野県北佐久郡、沓掛近くの追分宿は、わずかに戸数にして五十戸ばかり、ひどくさびれた宿場であるが、徳川時代から明治初年まで、信越線の開通しないまえは、どうしてなかなか賑やかな駅路で、戸数五百遊女三百、中仙道と北国街道との、その有名な分岐点として、あまねく世間に知れていた。
まず有名な遊女屋としては、遊女七十人家人三十人、総勢百人と注されたところの、油屋というのを筆頭に、栄楽屋、大黒屋、小林屋、井筒屋、若葉屋、千歳屋など、軒を連ねて繁昌し、正木屋、小野屋、近江屋なども、随分名高いものであった。「追分|女郎衆《じょろしゅ》についだまされて縞の財布がから[#「から」に傍点]になる」「追分宿場は沼やら田やら行くに行かれぬ一足も」「浅間山から飛んで来る烏《からす》銭も持たずにカオカオと」
こういったような追分文句が、いまに残っているところから見ても、当時の全盛が思いやられよう。
同勢三千、人足五千、加賀の前田家は八千の人数で、ここを堂々と通って行った。年々通行の大名のうち、主なるものを挙げて見ると尾州大納言、紀州中納言、越前、薩摩、伊達、細川、黒田、毛利、鍋島家、池田、浅野、井伊、藤堂、阿波の蜂須賀、山内家、有馬、稲葉、立花家、中川、奥平、柳沢、大聖寺の前田等が最たるもので、お金御用の飛脚も行き、お茶壺、例幣使《れいへいし》も通るとあっては、金の落ちるのは当然であろう。
さて、この時分この宿場に、甚三という馬子がいた。きだて[#「きだて」に傍点]はやさしく正直者で、世間の評判もよかったが、特にこの男を名高くしたのは、美音で唄う追分節が、何ともいえずうまかったことで、甚三の唄う追分節には、草木も靡《なび》くといわれていた。
ある日甚三は裏庭へ出て、黙然《もくねん》と何かに聞き惚れていた。夕月が上《のぼ》って野良《のら》を照らし、水のような清光が庭にさし入り、厩舎《うまごや》の影を地に敷いていた。フーフーいうのは馬の呼吸《いき》で、コトンコトンと音のするのは、馬が破目板を蹴るのでもあろう。パサパサと蠅を払うらしい、かすかな尻尾の音もした。甚三は縁へ腰を掛け、じっと物の音に聞き惚れていた。ポンポン、ポンポン、ポンポンと、美妙な鼓の正調が、あざやかに抜けて来るからであった。
「ああ本当にいい音《ね》だなあ。……本陣油屋の逗留客だというが、何んとマア上手に調べるんだろう。鼓も上等に違えねえ。……『追分一丁二丁三丁四丁五丁目、中の三丁目がままならぬ』とおいら[#「おいら」に傍点]の好きな追分節の、その三丁目の油屋から、ここまで抜けて聞こえるとは、人間|業《わざ》では出来ねえ事だ。追分一杯鳴り渡り、軽井沢まで届きそうだ。それに比べりゃあ俺《おい》らの唄う、追分節なんか子供騙しにもならねえ。ああ本当にいい音だなあ」つぶやきつぶやき聞き惚れていた。
この時背戸のむしろを掲げ、庭へはいって来た若者があった。「兄貴!」と突然《だしぬけ》に声をかけた。甚三の弟の甚内であった。「何をぼんやり考えているな」「おお甚内か、あれを聞きな。何んと素晴らしい音色じゃねえか」
「ああ鼓か。いい音だなあ」兄と並んで腰を掛け、甚内もしばらく耳を傾《かし》げた。ポンポン、ポンポン、ポンポンと、なおも鼓は鳴っていた。と、鼓は静かに止んだ。恐らく一曲打ちおえたのであろう。甚三は一つ溜息をした。二人はしばらく黙っていた。
「あにき、この頃変ったな」不意に甚内が咎めるようにいった。「お前、どうかしやしないかな」
「何を?」と甚三は不思議そうに、「別に変った覚えもねえ」「いいや変った、大変りだ。この頃|頻《しき》りに考え込むようになった。そうして元気がなくなった。そうかと思うと歌を唄うと、まえにも優《ま》してうめえものだ」
兄貴、どうだな、思い切っては
「俺《おい》らの追分のうめえのは、今に始まった事じゃねえ」甚三は多少の自負をもって、やや得意らしくこういったが、その声にもいい方にも、思いなしか憂いがあった。「宿一杯知れていることだ」
「ああそうともそれはそうだ。宿一杯は愚かのこと、参覲交代のお大名から、乞食非人の類《たぐい》まで、かりにも街道を通る者で、お前の追分を褒めねえものは、それこそ一人だってありゃしねえ。その追分を聞きてえばっかりに、歩いても行ける脇街道を、わざわざお前の馬に乗る、旅人衆だってあるくれえだ。お前の追分に堪能なことは、改めていうには及ばねえ。おいらのいうのはそれじゃねえ。そのお前の追分節が、近来めっきり変って来たのでね、それが心配でしかたがねえのさ」
こういう甚内の声の中には、兄弟の愛情が籠《こ》もっていた。兄の甚三は感動しながらも、わざ[#「わざ」に傍点]とさりげない様子を作り、「どんな塩梅《あんばい》に変ったものか、とんとおいらにゃあ解らねえ」「冴えていたのが曇って来た。いかにも山の歌らしく、涼しかったのが熱を持って来た。それでいて途方もなくうまいのだ。聞いていて体中がゾッとする。蒸されるような気持ちになる。そうして何かよくない事でも、起こって来そうな気持ちになる。何かにむちゅうに焦《こが》れていて、その何かに呼びかけていると、こんな工合にも思われる。これはよくねえ変り方だ」「ふうん、こいつは驚いたな」甚三は内心ギョッとしながら、ことさら皮肉な言葉付きで、「お前はこれまで追分は愚か、鼻唄一つ唄えなかった筈だに、よくまあおいらの追分を、そうまで細《こまか》く調べたものだ」「いいや自分で唄うのと他人の歌を聞くのとは、自然に差別がある筈だ。おいらには歌は唄えねえ。まるっきり音《おん》をなさねえのだ。悲しくもなれば愛想も尽きる。そうしてお前が羨ましくもなる。お前の弟と生まれながら、そうしてこの宿に育ちながら、土地の地歌を一句半句、口に出すことが出来ねえとは、何んたら気の毒な男だろうと、時々自分が可哀そうにもなる。そこで俺《おい》らは考えたものだ。『これは俺らが悪いのじゃねえ。これはあにきがよくねえのだ。きっとあにきはおいらの声まで、さらって行ったに違ねえ』とな。アッハハハハこれは冗談だが、それほどおいらには歌は唄えねえ。それにも拘らず他人のを聞くと、善悪《よしあし》ぐらいはまずわかる。それに」と甚内はちょっと考えたが「お前の歌の変ったことは、この宿中での評判だからな」「え?」と甚三は胆を潰し、「何が宿中での評判だって?」「お前の歌の変ったことがよ」「おどかしちゃいけねえ、おどかしちゃいけねえ」小心の甚三は仰天し、顔色をさえかえたものである。
「それにもう一つあにきの事で、宿中評判のことがある」「話してくれ。話してくれ!」甚三はあわててきくのであった。
「それはな」と甚内はいい悪《にく》そうに、「あの油屋の板頭《いたがしら》、お北さんとの噂だが、お前の歌の変ったのも、そこらあたりが原因だろうと、宿中もっぱらの取り沙汰だが、おいらもそうだと睨んでいる。……あにきこいつは考えものだぜ」
いわれて甚三は黙ってしまった。身に覚えがあるからであった。
「よしお北さんが飯盛りでも、宿一番の名物女、越後生まれの大|莫連《ばくれん》、侍衆か金持ちか、立派な客でなかったら、座敷へ出ぬという権高者《けんだかもの》、なるほどお前も歌にかけたら、街道筋では名高いが、身分は劣った馬方風情、どうして懇意になったものか、不思議なことと人もいえば、このおいらもそう思う。……だがもうそれは出来たことだ、不思議だきたい[#「きたい」に傍点]だといったところで、そいつがどうなるものでもねえ。おいらのいいてえのはこれからの事だ。あにき[#「あにき」に傍点]、どうだな、思い切っては」
まごころ[#「まごころ」に傍点]をこめていうのであるが、甚三は返辞さえしなかった。ただ黙然と考えていた。
「こいつは駄目かな、仕方もねえ」甚内はノッソリ立ち上がったが、「あにき、おいらにゃあ眼に見えるがな。お前があの女に捨てられて、すぐに赤恥を掻くのがな」行きかけて甚内は立ち止まった。「あにき、おいらは近いうちに、越後の方へ出て行くぜ。おいらの永年ののぞみだからな」
平手造酒と観世銀之丞
甚内はじっとたたずんで甚三の様子を窺った。甚三は黙然と考えていた。その足の先に月の光が、幽《かす》かに青く這い上っていた。かじかの啼く音《ね》が手近に聞こえ、稲葉を渡って来た香《こう》ばしい風が、莚戸《むしろど》の裾をゆるがせた。高原、七月、静かな夕、螢が草の間に光っていた。
「お前の様子が苦になって、思い切っておいらは行き兼るのだ」甚内は口説《くど》くようにいい出した。
「でもおいらは近々に行くよ。海がおいらを呼んでいるからな……おいらには山は不向きなのだ。どっちをむいても鼻を突きそうな、この追分はおれには向かねえ。小さい時からそうだった、海がおいらの情婦《おんな》だった。おれは夢にさえ見たものだ。ああ今だって夢に見るよ。山の風より海の風だ。力一杯働いて見てえ! そうだよ帆綱を握ってな。……もう直《じ》きにお前ともおさらばだ。ああ、だが本当に気が揉めるなあ」
フラリと甚内は出て行った。
顔を上げて見ようともせず、なお甚三は黙然と、下|俯向《うつむ》いて考えていたが、その時またも清涼とした鼓の音が聞こえて来た。
「ああいいなあ」といいながら、ムックリ顔を上げたかと思うと、体も一
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