日もひどく賑わっていた。奥山を廻って観音堂へ出、階段を上《のぼ》って拝《はい》を済まし、戻ろうとしたその時であった、そこに立っていた虚無僧《こむそう》の話が平八の好奇心を引き付けた。
「小さいご本尊に大きい御堂《みどう》、これには不思議はないとしても、この浅草の観音堂と信州長野の善光寺とは、特にそれが著しいな」こういったのは年嵩《としかさ》の方で、どうやら階級も上らしい。「わしは善光寺は不案内だが、そんなに御堂は大きいかな」年下の虚無僧がきき返した。
「観音堂よりはまだ大きい。一|周《まわ》りももっとも大きいかな」「それは随分大きなものだな」「そうだ、あれは一昨年だった、わしは深夜ただ一人で、その善光寺の廻廊に立って、尺八を吹いたことがある。なんともいえずいい気持ちだった。まるで音色《ねいろ》が異《ちが》って聞こえた」「ナニ尺八のねいろが異った? ふうむ、それは何故だろうな?」「善光寺本堂の天井に、金塊が釣るしてあるからだ」「ナニ金塊が釣るしてある?」「さよう金塊が釣るしてある。つまり火災に遭《あ》った時など、改めて建立しなければならない。その時の費用にするために、随分昔から黄金《きん》の延棒《のべぼう》が、天井に大切に釣るしてあるのだ」「これは私《わし》には初耳だ」「ところで楽器というものは、分けても笛と鼓とはだな、黄金《おうごん》の気を感じ易い。名器になれば名器になるほど、黄金の気を強く感じ、必ずねいろが変化する。つまり一層微妙になるのだ。で鉱脈《こうみゃく》を探る時など、よく鉱山《かなやま》の山師などは、笛か鼓を持って行って、それを奏して金の有無《うむ》を、うまく中《あ》てるということだよ」
 黙って聞いていた平八は、思わずこの時膝を打った。「やれ有難い、いい事を聞いた。これで事情が大略《あらかた》解った。ははあなるほどそうであったか。鼓賊と呼ばれるその泥棒が、少納言の鼓を奪い取ったのは、その鼓を奏する事によって、目星をつけた家々の、金の有無《ありなし》を知るためだったのか。盗みも進歩したものだな。……よしよしここまで見当がつけば、後はほんの一息だ。きっと間違いなく捕えて見せる」
 踏む足も軽くいそいそと、本所|業平《なりひら》町一丁目の、自分の家へ帰って行った。

    千葉道場の田舎者

 北辰一刀流の開祖といえば、千葉周作成政であった。生まれは仙台気仙
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