周作で、甚内を屋敷へ引き取るや、今後の方針を訊ねてみた。
「追分へ帰りとう存じます。故郷はよい所でございます。兄の墓場もございますし、妹お霜も同じ土地へ、葬ってやりとう存じます。そうして私は追分で、兄の代りに馬を追い、馬子で暮らしとう存じます」
 これが甚内の意志であった。
 そこで周作もそれに同じ、諸方から集まった同情金へ、さらに周作が金を足し、門弟達にも餞別を出させ、三百両の大金とし、これを甚内へ送ることにした。
 江戸で需《もと》めた馬の前輪《まえわ》へ、妹お霜の骨をつけ、
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信州出た時ゃ涙で出たが
今じゃ信州の風もいや
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 それとは反対の心持ち――その信州の風を慕い、江戸を立ってふるさとの、追分宿へ向かったのは、それから一月の後であった。
 こうして江戸の人々は、信州本場の追分を、永久聞くことが出来なくなったが、その代り恐ろしい辻斬りからは、首尾よく遁《の》がれることが出来た。で、私の物語りも、この辺で幕を下ろすことにしよう。



底本:「名人地獄」国枝史郎伝奇文庫7、講談社
   1976(昭和51)年5月20日第1刷発行
初出:「サンデー毎日」
   1925(大正14)年7月5日〜10月25日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「鬨」と「閧」の混在は、底本通りです。
入力:阿和泉拓
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年2月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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