てやろう」
その夜、江戸の到る所で、鼓の音を聞くことが出来た。そうして市内十ヵ所に渡って、大きな窃盗が行われた。
気味の悪い不思議な武士
品川を出た帆船で、銚子港へ行こうとするには、ざっと次のような順序を経て、航海しなければならなかった。
千葉、木更津《きさらづ》[#ルビの「きさらづ」は底本では「きさらず」]、富津《ふっつ》、上総《かずさ》。安房《あわ》へはいった保田《ほた》、那古《なご》、洲崎《すさき》。野島ヶ岬をグルリと廻り、最初に着くは江見《えみ》の港。それから前原港を経、上総へはいって勝浦、御宿《おんじゅく》。その御宿からは世に名高い、九十九里の荒海で、かこ[#「かこ」に傍点]泣かせの難場であった。首尾よく越せば犬吠崎。それからようやく銚子となり、みちのりにして百五十里、風のない時には港へ寄って、風待ちをしなければならなかった。
で、玻璃窓の平八の乗った、淀屋の持ち船八幡丸も、この航路から行くことにした。海上風波の難もなく、那古の港まで来た時であったが、一人の武士が乗船した。
本来八幡丸は貨物船で、客を乗せる船ではないのであったが、やはり裏には裏があり、特に船頭と親しいような者は、こっそり乗ることを許されていた。
武士の年齢は四十五、六、総髪の大|髻《たぶさ》、見上げるばかりの長身であったが、肉付きはむしろ貧しい方で、そのかわりピンと引き締まっていた。着ている衣裳は黒羽二重。しかし大分年代もので、紋の白味が黄ばんでいた。横たえている大小も、紺の柄絲《つかいと》は膏《あぶら》じみ、鞘の蝋色は剥落《はくらく》し、中身の良否はともかくも、うち見たところ立派ではない。それにもかかわらずその人品が、高朗としてうち上がり、人をして狎《な》れしめない威厳のあるのは、学か剣か宗教か、一流に秀でた人物らしい。
船尾《とも》の積み荷の蔭に坐り、ぼんやりあたりを見廻していた、郡上平八の傍《そば》まで来ると、ふとその武士は足を止めた。
「職人職人よい天気だな」声をかけたものである。
「へい、よい天気でございます」平八はちょっと驚きながらも、こう慇懃《いんぎん》に挨拶をした。
「どこへ行くな? え、職人?」ひどくきさくな調子であった。
「へい、銚子まで参ります」
「うん、そうか、銚子までな」こういうと武士は坐り込んだが、それからじっと平八を眺め、「なんに行
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