「先生、不思議ではございませんか」こう云ったのは一学で、「突き傷も斬り傷もないそうで」
「うん」と北山は腕を組んだが、「毒殺の嫌疑もないのだそうだ」
「心臓|痲痺《まひ》でもないそうで」
「絞殺の疑いもないのだそうだ」
「ではどうして逝去《なくな》られたのでしょう?」
「解らないよ。俺には解らぬ」
「不思議なことでございますな」
「不思議と云えば不思議だが、しかし本来世の中には不思議ということはないのだがな。科学の光で照らしさえしたら、どんなことでも解る筈だ」
「ではどうして金一郎様は、お逝去《なくな》りなされたのでございましょう?」
「さあそれは、今は解らぬ」
「でも只今先生には、科学の光で照らしさえしたら、何んでも解るとおっしゃいましたが……」
「うん、そうとも、そう云ったよ。……金一郎様のお死骸《なきがら》を、親しく見ることが出来たなら、俺の奉ずる蘭医学をもって、きっと死因を確かめて見せる。だが俺は見ていない。変事の起こったのは江戸のお屋敷で、俺はお噂を聞いたまでだ。千里眼なら知らぬこと、江戸の事件は高遠では解らぬ」
「これはごもっともでございますな」一学はテレて苦笑をした。

前へ 次へ
全368ページ中238ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング