《すまい》して、聖母マリヤと神の子イエスとを、守り本尊として生活《くら》したが、次第に同志の者も出来、窩人部落と対抗しここに一部落が出来上がり、宗教方面では天主教以外に日本古来の神道の一派|中御門派《なかみかどは》の陰陽術を加味し、西洋東洋一味合体した不思議な宗教を樹立したのである。そうして彼らの長《おさ》たる者は必ず久田の名を宣《なの》り、若い時には久田姫、老年となって久田の姥《うば》と、こう呼ぶことに決っていた。そうして彼らの長となる者は必ず女と決っていた。
 彼ら部落民全体を通じて最も特色とするところは、男女を問わず巫女《みこ》をもって商売とするということと、部落以外の人間とは交際《まじわ》らないということと、窩人を終世の仇とすることと、妖術を使うということなどで、わけても彼らの長《おさ》となるものは、今日の言葉で説明すると、千里眼、千里耳、催眠術、精神分離、夢遊行《むゆうこう》、人心観破術というようなものに、恐ろしく達しているのであった。……
「ふうむ、そうか」
 と葉之助は、写本を一通り読んでしまうと、驚いたように呟いた。
「容易ならない敵ではある。それに人数が多すぎる。一部落の人間を相手としては、いかほど武道に達した者でも、討ち果たすことは困難《むずかし》かろう。これは充分考えずばなるまい。……いや待てよ、そうでもない。彼らの長さえ討ち取ったなら、諏訪家に纏《まつ》わる禍《わざわ》いだけは断ち切ることが出来ようも知れぬ。うむ、そうだ、この一点へ、ひとつ心を集めて見よう」
 森閑と更けた城内の夜、別館客座敷の真ん中に坐り葉之助はじっと考え込んだが、
「考えていても仕方がない。味方を知り敵を知るは必勝の法と兵学にもある。これから窃《こっそ》り出かけて行き、水狐部落の様子を見よう」
 スッと立って廻廊へ出、雨戸を開けると庭へ出た。城の裏門までやって来ると一人の番人が立っていた。
「どなたでござるな? どこへおいでなさる?」
「拙者は内藤家より使者の者、所用あって城下へ出ます。早々小門をお開けくださるよう」
「はっ」と云って式体《しきたい》したが、「たとえいかなるご仁《じん》に致せ、刻限過ぎにござりますれば開門いたすことなりませぬ」
「ほほう、いかなる人といえども刻限過ぎにはこの小門を通行致すことなりませぬとな」
「諏訪家の掟《おきて》にござります」
「しかるに毎夜その掟を破り他出する者がござるとのこと、何んと不都合ではござらぬかな」
「いやいや決してさような者、諏訪家家中にはおりませぬ」
「いやいや家中の侍衆《さむらいしゅう》ではない。ご一門中の立派なお方だ」
「はて、どなたでございましょうや?」
「すなわち若殿頼正公」
「あッ、なるほど!」と思わず云って門番はキョトンと眼を丸くした。
「何んとでござるな。一言もござるまい」
 葉之助は笑ったものである。
「いや一言もござりませぬ」
「しからば開門なさるよう」
「やむを得ぬ儀、いざお通り」
 ギーと門番は門を開けた。ポンと潜った葉之助は、昼間あらかじめ調べて置いた、野良の細道をサッサッと神宮寺村の方へ歩いて行く。遅い月が出たばかりで野面《のづら》は蒼茫《そうぼう》と光っている。微風に鬢《びん》の毛を吹かせながら急《せ》かず焦心《あせ》らず歩いて行くものの心の中ではどうしたものかと、策略を巡らしているのであった。
 間もなく遥かの行手に当たって水狐族の部落が見渡された。家数にして百軒余り、人数にして三百人もあろうか、今はもちろん寝静まっていて人影一つ見えようともしない。夜眼にハッキリとは解らないが、家の造り方も尋常《なみ》と異《ちが》い、きわめて原始的のものらしく、ひときわ眼立つ一軒の大厦《たいか》は、部落の長の邸であろう。あたかも古城のそれのように、千木《ちぎ》や勝男木《かつおぎ》が立ててある。そうして屋根は妻入式《つまいりしき》であり、邸の四方に廻縁《かいえん》のある様子は、神明造りを想わせる。
 と、忽然《こつぜん》その辺から音楽の音《ね》が聞こえて来た。
「はてな?」と呟いて葉之助は思わず足を止めたものである。

         二三

 音楽の音は幽《かす》かではあるが美妙《びみょう》な律呂《りつりょ》を持っている。楽器は羯鼓《かっこ》と笛らしい。鉦《かね》の音も時々聞こえる。
 葉之助はしばらく聞いていたがやがて忍びやかに寄って行った。木蔭に隠れて向こうを見ると、神明造りの館の庭に数人の女が坐っていたが、いずれも若い水狐族の女で、一人は笛、一人は羯鼓、一人は鉦を叩いている。そうして一人の老年《としより》の女が、その中央《まんなか》に坐っていたが何やら熱心に祈っているらしい。チン、チン、チンと鉦の音、カン、カン、カンと羯鼓の音、それを縫って笛の音がヒュー、ヒュー
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