字架《きとうクルス》聖灯の光で隈々隅々《くまぐますみずみ》まで輝いている教団と一変させました。つまりお城は十四年の間に亡びてしまったのでござります」
「城は亡びても武士は死んでも俺の許婚《いいなずけ》の柵は活きてここに住んでいような?」
「はい、ご無事でござります」
「俺はあの女を愛していた。あの女は俺の許婚だ。俺は死ぬほど愛していた。それだのに柵は俺のことを糸屑《いとくず》ほどにも愛していなかった。あの女の恋人は夏彦であった。俺の弟を愛していたのだ。世にも憎い奴輩《やつばら》め! 虹《にじ》のようなはかないそんな歓楽がいつまでつづくと思っていたのか!」小脇に抱えていた丸い包物《つつみ》を島太夫の前へ突き出したが、「島太夫、十字架《クルス》の前へ行け、この包物《つつみ》を開けて見ろ!」
「…………」――老人は無言で包物を受け取り龕の前まで歩み寄ったが、そろそろと包物をほどいて見た。男の生首が現われた。既《すで》に予期したことである。島太夫は驚きもしなかった。
「見たか。首を。夏彦の首級《くび》だ! ……あの晩は天竜の河の面《も》を燐の光が迷っていた。星さえ見えぬ大空を嵐ばかりが吹いていた。湧き立つ浪は鬣《たてがみ》を乱した白馬のように崩れかかり船を左右にもてあそんだ。俺と夏彦とは二人きりで船の船首《へさき》に突立ちあがり、互いに白刃を抜き合わせ思うままに戦った。天運我にあったと見え、颯《さっ》と突いた突きの一手に夏彦は胸の真ん中を刺され帆柱の下《もと》に倒れたが、そのまま呼吸《いき》は絶えてしまった。――十四年という永い年月互いに怨んだその怨みはこうしてとうとう晴らされたのだ。そうして俺は夏彦の首級を手に提《ひっさ》げて帰って来た。そして今ここに立っている。……ここにこうして立ちながら一人の女を待っているのだ。俺の許婚|柵《しがらみ》の現われて来るのを待っているのだ。さて、島太夫お前に命ずる。早く柵を連れて来い」
「…………」
五
「何も恐れることはない。何も憚《はばか》ることはない。十四年ぶりで城の主《あるじ》が腰に血染めの剣を佩《は》き、手に敵の首級を持ちその首級を女に見せようと思って約束通り帰って来たのだ。さあ柵を連れて来い! 島太夫、柵にこう云ってくれ。……戦いに倦《あ》きた宗介《むねすけ》が生血《なまち》に倦きたこの俺が美しい許婚に邂逅《ゆきあ》って恋の甘酒《うまざけ》に酔いしれ[#「しれ」に傍点]たくそれで帰って来たのだとな。そしてまたこうも云ってくれ、そなたの恋人の夏彦を大事にかけて連れて来たとな、その夏彦は世にも穏《おとな》しく笑いもせず物も云わずただ悲しそうに無念気に黙っていると云ってくれ。早く行け島太夫! そうして柵《しがらみ》を連れて来い! 俺は女を見たいのだ。殺された恋人の首級《くび》を見てどんなに女が悶《もだ》え苦しむか俺はそれが見たいのだ。その悲しみとその悶えとを俺に見せまいと押し隠し空々《そらぞら》しい笑《え》みを顔に湛《たた》えて俺の方へ手を延ばすその柵を見たいのだ。早く柵を連れて来い!」
「お連れ致さずともお姫様《ひいさま》はすぐお殿様のお目の前においで遊ばすのでござります」島太夫は顫《ふる》えながら手を上げて几帳《きちょう》の蔭《かげ》を指差した。「静かな睡眠《ねむり》永遠の睡眠《ねむり》……お姫様は几帳の蔭で眠っておられるのでござります」
聞くと一緒に宗介はつかつかと几帳の前まで行った。
「柵、柵、眼を醒《さ》ませ。そなたの許婚宗介が今こそここへ戻って来たのだ。さあ早くそこから出て俺《わし》の贈り物を見るがよい。やッ……」
とにわかに仰天《ぎょうてん》し宗介は几帳を掻いやったがぐたり[#「ぐたり」に傍点]と膝を床に突いた。
と、灯火の仄《ほの》かの光に淡くおぼろに照らし出されたのは血に染んだ柵の屍骸《なきがら》である。
思わず宗介は両手を延ばし彼女の躯《からだ》を抱き起こしたとたんに、襖《ふすま》がサラリと開いて走り出た一人の乙女。
「お姉様!」
と叫びながら柵の屍骸へ取り縋《すが》る。
「誰だ!」
と宗介は眼を見張りその乙女を見詰めたが、何んに驚いたか抱えていた柵をはたと床へ取り落とした。
と、島太夫は沈痛にむしろ厳《おごそ》かに云うのであった。
「お姫様でござります。柵様が十四年前にお産み遊ばしたお姫様の久田姫でござります」
「十四年前に産んだというか? ふうむ、確かに十四年前だな? ……これ娘顔を上げろ! おおいかにも酷似《そっく》りだ! 夏彦の容貌《かお》と酷似《そっく》りだ! 因果な娘よ不義の塊《かたまり》よ、立って十字架《クルス》の前へ行け! そこにある首級《くび》がお前の親父《おやじ》だ。そうしてここに自害している柵こそはお前の母親だ」
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