ほとばし》った。
「オーッ」と熊はまた吠えたがこれぞ断末魔の叫びであったかドタリと横へ転がった。
「どうだ熊公驚いたか。一度俺に睨まれたが最後トドの詰まりはこうならなけりゃならねえ。アッハハハ、いい気持ちだ。どれ皮でも剥《は》ごうかい」
熊の死骸を仰向けに蹴り返しその前へむずと膝を突くとブッツリ月の輪へ山刀を刺した。と、その時、どうしたものか俄然《がぜん》空を仰いだが、
「お母様!」
と一声叫ぶとそのままグッタリ仆れてしまった。
余り見事な格闘振りに弓之進や北山を初めとし弟子若党|使僕《こもの》までただ茫然と眺めていたがこの時バラバラと駈け寄った。
「北山殿、脈を早く!」
「心得たり」と北山は若者の手首をぐいと握ったが、
「大丈夫、脈はござる」
「それで安心。よい塩梅《あんばい》じゃ」
「あまりに精神を感動させその結果気絶をしたのでござるよ」
「手当の必要はござらぬかな?」
「このままでよろしい大丈夫でござる。や! なんだ! この痣《あざ》は!」
云いながら北山は若者の手をグイと前へ引き寄せた。いかさま右の二の腕に上下|判然《はっき》り二十枚の歯形が惨酷《むごたら》しく付いている。
「人間の歯ではござらぬかな?」
「さよう、人間の歯でござる」
この時、気絶から甦《よみがえ》ったと見え、若者はにわかに動き出した。まず真っ先に眼をあけて四方《あたり》を不思議そうに見廻したが、
「ああ恐ろしい夢を見た」
こう云うとムックリ起き上がった。それから弓之進をじっと[#「じっと」に傍点]見た。その逞《たくま》しい顔の面《おもて》へ歓喜の情があらわれたと思うと突然若者は両手を延ばし、
「お父様!」
と呼んだものである。それからまたも気を失い、熊の死骸へ倚《よ》りかかった。
この時、忽然《こつぜん》弓之進は、以前《まえかた》死んだ葉之助が、「代りが来るのだ! 代りが来るのだ! 次に来る者はさらに偉い!」と末期《いまわ》に臨んで叫んだことを偶然《ゆくりなく》も思い出した。
「うむ、そうか! こいつだな!」
……ポンと膝を叩いたものである。
翌年の秋、鏡家へ飯田の城下から養子が来た。
堀|石見守《いわみのかみ》の剣道指南南条右近の三男で同苗《どうみょう》右三郎《うさぶろう》というのであったが、鏡家へ入ると家憲に従い葉之助と名を改めた。
三
「
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