八ヶ嶽を下り、人里へ出た葉之助は、高遠城下へは帰らずに、何処《いずこ》とも知れず立ち去った。
 爾来《じらい》彼の消息は、杳《よう》として知ることが出来なかった。
 時勢はズンズン移って行った。
 天保が過ぎて弘化となり、やがて嘉永となり安政となり、万延、文久、元治、慶応、そうして明治となり大正となった。
 この物語に現われた、あらゆる人達は一人残らず、地球の表から消えてなくなり、その人達の後胤《こういん》ばかりが、残っているという事になった。
 しかし本当に久田の姥の、あの恐ろしい呪詛の言葉が、言葉通り行われているとしたら、主人公の鏡葉之助ばかりは、依然若々しい容貌をして、今日も活《い》きていなければならない。
 だがそんな[#「そんな」に傍点]事があり得るだろうか?
 あらゆる不合理の迷信を排斥《はいせき》している科学文明! それが現代の社会である。スタイナッハの若返り法さえ、怪しくなった今日である。天保時代の人間が、活きていようとは思われない。

         三一

 大正十三年の夏であった。
 私、――すなわち国枝史郎は、数人の友人と連れ立って、日本アルプスを踏破した。
 三千六百〇三尺、奥穂高の登山小屋で、愉快に一夜を明かすことになった。
 案内の強力《ごうりき》は佐平と云って、相当老年ではあったけれど、ひどく元気のよい男であった。
「こんな話がありますよ」
 こう云って佐平の話した話が、これまで書きつづけた「八ヶ嶽の魔神」の話である。
「ところで鏡葉之助ですがね、今でも活きているのですよ。この山の背後蒲田川の谿谷《たにあい》、二里四方もある大盆地に、立派な窩人町を建てましてね、そこに君臨しているのです。決して嘘じゃあありません。もし何んならご案内しましょう。もっとも町までは行けません。四方が非常な断崖で、下って行くことが出来ないのです。せいぜいその町を眼の下に見る、十石ヶ嶽の中腹ぐらいしか、ご案内することは出来ますまい。……とても立派な町でしてね、洋館もあれば電灯もあり、人口にして一万以上、ただし外界とは交通遮断、で、自然詳しいことは、知れていないという訳です」
「だが」と私は訊いて見た。「いつどうして葉之助が、そんな所へ行ったんだね」
「明治初年だということです。漂浪している窩人の群と、甲州のどこかで逢ったんだそうです。もちろんその時は窩人達は、
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