「では二匹盗まれたんだな」
 もう一人の声がこう云った。「毒蛇だのに、誰が盗んだかな」
「八ヶ嶽だけに住んでる蛇だ」
「毒蛇だのに、誰が盗んだかな」
「いずれ馬鹿者が盗んだんだろう」
 ここで再び笑い声がした。
 それが消えると静かになった。カラカラと駒下駄の音がした。横に曲がってやがて消えた。
 また微風が訪れて来た。
 興行物の小屋掛けが、闇の中に立っていた。ギャーッと夜烏《よがらす》が啼き過ぎた。
「冬になるまでには帰りたいものだ」
 老人の声がこう云った。
「帰れるともきっと帰れる」もう一人の老人の声が云った。
「そう長く悪運が続くわけがない」
「多四郎め! 思い知るがいい!」
「だが葉之助は可哀そうだ」突然誰かがこう云った。
「仕方がない、贖罪《しょくざい》だ!」もう一人の声がこう云った。
「母の罪を償うのだ」
「あれ[#「あれ」に傍点]の母の山吹は、部落きっての美人だった。お頭杉右衛門の娘だった。若大将岩太郎の許婚《いいなずけ》だった。……ほんとに気前のいい娘だった」
「ところが多四郎めに瞞《だま》された。そうして怨《うら》み死にに死んでしまった。可哀そうな可哀そうな女だった。……山吹とそうして多四郎との子! 可哀そうな可哀そうな葉之助!」

         八

 観音堂への参詣を済まし、偶然《ふと》来かかった北山は、窩人達の話を耳にして「オヤ」と思わざるを得なかった。
「葉之助葉之助と云っているが、鏡葉之助のことではあるまいかな?」
 これは疑うのが当然であった。
 と、木蔭に身を隠し、次の話を待っていた。
「だが葉之助は偉い奴だ」老人の声がこう云った。「俺らの敵の水狐族部落を、見事に亡ぼしてくれたんだからな」
「そうだ、あの功は没せられない」合槌を打つ声が聞こえて来た。「あの一事で母親の罪は、綺麗《きれい》に償われたというものだ」
「噂によると水狐族めも、さすらい[#「さすらい」に傍点]の旅へ上ったそうだ」
「江戸へ来ているということだ」
「どこかでぶつからない[#「ぶつからない」に傍点]ものでもない」
「ぶつかった[#「ぶつかった」に傍点]が最後、戦いだ」
「そうだ戦いだ、腕が鳴るなあ」
「種族と種族との戦いだからな」
「種族の怨みというものは、未来|永劫《えいごう》解《と》けるものではない」
「だが、水狐族の部落の長《おさ》、久田の姥《うば》
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