泣き喋舌《しゃべ》っているのであった。
「あの人|憤《おこ》って行ってしまったわ。どうしよう、どうしよう、どうしよう! よくまだ妾《わたし》が云わないうちにあの人憤って行ってしまったんだもの。そりゃ妾だって悪かったけれどあの人だってあんまりだわ。……でも妾ほんとにあんな事を何故あの人に云ったんだろう。――妾が都会《みやこ》へ行って見たいと云ったら、あの人にわかに妙な顔をして『何故行きたい』って訊《き》くものだから、『妾もうこんな山の上の部落なんかには飽き飽きした』って、ついうっかり云ってしまうと、あの人恐ろしい顔をして、『山吹、お前は、山の中に住むこの俺の顔にも飽きたろうな。弁解《いいわけ》したって通らねえよ。聞けば高島の城下(今の上諏訪町)から、多四郎とかいう生《なま》っ白《ちろ》い男が、お前を張りに来るそうだが、これ、気を付けねえといけねえぞ。かりにも窩人部落の女で、下界の人間と契《ちぎ》ったが最後天狗の宮の岩の上から深い谷底へ投げ下ろされ必ず生命《いのち》を失うのだからな』と声の調子まで恐ろしく変えて、こうあの人が云ったかと思うと自分の頭の毛を掻き※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》り、『ああ俺はお前に騙《だま》された。俺は意気地《いくじ》のねえ人間だ。俺はお前に見捨てられた! もう俺はこれっきりお前とは逢わねえ! その多四郎とかいう下界の奴と手に手を取って部落を出るがいい。そうして下界の真人間となってうんと[#「うんと」に傍点]出世をするがいいや! だがな、山吹、よく覚えていろよ。お前が下界で出世している時俺はやっぱり窩人部落の八ヶ嶽の中腹の笹の平で、お前の事を恋い焦《こが》れながら猪《しし》熊猿を相手にして憐れに暮らしているってことをな!』……こういうと妾を振り切ってズンズン行ってしまったんだよ。誰があの人を騙《だま》したって云うの。妾《わたし》騙しなんかしやしないわ」
 彼女の前に誰かいて、その人に訴えてでもいるかのように彼女はいつまでも泣き喋舌《しゃべ》っている。
 秋の真昼のことであって黄味の勝った陽の光が家の内まで射し込んでいる。家造作《やづくり》は窩人の風俗通り大岩を掘り抜き柱を立てたいわゆる古代穴居族の普通の家造作と同じであったが、杉右衛門は一族の頭領だったので、したがってその住居は特別に広く半分《なかば》以上は岩窟から外へ喰
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