逅《ゆきあ》って恋の甘酒《うまざけ》に酔いしれ[#「しれ」に傍点]たくそれで帰って来たのだとな。そしてまたこうも云ってくれ、そなたの恋人の夏彦を大事にかけて連れて来たとな、その夏彦は世にも穏《おとな》しく笑いもせず物も云わずただ悲しそうに無念気に黙っていると云ってくれ。早く行け島太夫! そうして柵《しがらみ》を連れて来い! 俺は女を見たいのだ。殺された恋人の首級《くび》を見てどんなに女が悶《もだ》え苦しむか俺はそれが見たいのだ。その悲しみとその悶えとを俺に見せまいと押し隠し空々《そらぞら》しい笑《え》みを顔に湛《たた》えて俺の方へ手を延ばすその柵を見たいのだ。早く柵を連れて来い!」
「お連れ致さずともお姫様《ひいさま》はすぐお殿様のお目の前においで遊ばすのでござります」島太夫は顫《ふる》えながら手を上げて几帳《きちょう》の蔭《かげ》を指差した。「静かな睡眠《ねむり》永遠の睡眠《ねむり》……お姫様は几帳の蔭で眠っておられるのでござります」
聞くと一緒に宗介はつかつかと几帳の前まで行った。
「柵、柵、眼を醒《さ》ませ。そなたの許婚宗介が今こそここへ戻って来たのだ。さあ早くそこから出て俺《わし》の贈り物を見るがよい。やッ……」
とにわかに仰天《ぎょうてん》し宗介は几帳を掻いやったがぐたり[#「ぐたり」に傍点]と膝を床に突いた。
と、灯火の仄《ほの》かの光に淡くおぼろに照らし出されたのは血に染んだ柵の屍骸《なきがら》である。
思わず宗介は両手を延ばし彼女の躯《からだ》を抱き起こしたとたんに、襖《ふすま》がサラリと開いて走り出た一人の乙女。
「お姉様!」
と叫びながら柵の屍骸へ取り縋《すが》る。
「誰だ!」
と宗介は眼を見張りその乙女を見詰めたが、何んに驚いたか抱えていた柵をはたと床へ取り落とした。
と、島太夫は沈痛にむしろ厳《おごそ》かに云うのであった。
「お姫様でござります。柵様が十四年前にお産み遊ばしたお姫様の久田姫でござります」
「十四年前に産んだというか? ふうむ、確かに十四年前だな? ……これ娘顔を上げろ! おおいかにも酷似《そっく》りだ! 夏彦の容貌《かお》と酷似《そっく》りだ! 因果な娘よ不義の塊《かたまり》よ、立って十字架《クルス》の前へ行け! そこにある首級《くび》がお前の親父《おやじ》だ。そうしてここに自害している柵こそはお前の母親だ」
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