壮厳の一幅の絵画と云うべきでした。黒い森。赤い月。仙人のような白髪の翁。そうして総る人界の美を一身に集めた稀有の美童。……ハライソという神寂びた声!
 夜はもう半ばを過ぎてしまった。

     五

 斯ういうことがあってから、天草、島原、長崎などで、「天童降来、教義布衍」こういう言葉が流行し圧迫され又虐げられていた切支丹宗徒に力を付けましたが、翌、寛永十四年に果然世に云う天草一揆が先ず天草に勃発し次いで島原の原ノ城に籠もり幕府に抗するようになりました。
 男女合わせて三万余人が籠城したので厶《ござ》います。
 大将は即ち天草時貞。四郎のことでございまして、主立った部将の面々は、森宗意軒、葦塚忠右衛門、同じく忠太夫、同じく左内、増田甚兵衛、同じく玄札、大矢野作左衛門、赤星宗伴、千々輪五郎左衛門、駒木根八兵衛。
 寄手、主立った大名は、板倉内膳正を初めとし、有馬、鍋島、立花、寺沢、後には知恵伊豆と謳われた松平伊豆守が総帥として江戸からわざわざ下向した程で総勢合わせて十万と称され、城を囲むこと一年になっても尚陥落そうにも見えませんでした。
 それは三万の信徒達が四郎を天童と思い込み天帝の擁護ある限り最後に勝つと信じているからです。
 で、宗徒軍の強さ加減は例えるに物の無い有様でした。然に不思議の事には、それほど難攻不落であった其原ノ城が翌年の正月他愛も無く陥落たではありませんか。それは次の様な理由からです。

 或夜、珍らしく従者も連れず、天草四郎時貞は城内を見廻わって居りました。宿直《とのい》の室の前まで来ますと、「四郎が。……四郎が」と無礼にも呼び捨てにしているものがあるので不思議に思って立ち止まり板戸の隙から覗いて見ますと、森宗意軒と葦塚忠右衛門とが、くつろいだ様子で話しています。四郎四郎と云っているのは宗意軒でありました。
「四郎め、すっかり天童気取りで、悠々寛々と構えているので、城中の兵ども安心して、かく防戦するでは無いか。迷信の力ほど恐ろしいものは無い」
「三月何うかと案じていたのに、一年の余も持ち堪えているとは、農民兵とて馬鹿にならぬ。天童降来して宗徒を護ると斯う信じ切って居ればこそ、望みの無い戦にも勇気を落とさず健気に防戦するであろうぞ」
「それも皆四郎のおかげじゃ」
「いやいやお前の才覚のためじゃ。あの白痴の四郎めをお前の手品で誑《たぶら》かし、天帝
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