はお殿様に……」
「可い可い」
 と宗春は手を振った。
「云うな云うな、俺も聞かない。……
 ……父の仇、不倶戴天、こういう義理は小|五月蠅《うるさ》い。……訊きたいことが一つある。お前は将来も俺を狙うか?」
 お半の方は黙っていた。
「殺せるものなら殺すがいい。殺されてやっても惜しくはない。だが、よもや殺せはしまい。……俺は野心を捨てるつもりだ。お前も義理を捨てて了え! 二つを捨てたら世のなかは住みよい。住みよい浮世で、活きようではないか。……俺には、お前が手放せないよ」
 お半の方はつっ伏した。両手で宗春の足を抱いた。一生放さないというように。宗春は優しく見下ろした。その眼を上げて四辺を見た。
「や、香具師の姿が見えぬ。はてさて、性急に何処へ行ったものか?」
 寺院で鳴らす梵鐘《かね》の音が、幽ながらも聞えて来た。夕陽が褪めて暗くなった。

     二一

 五重の天主の頂上の間の、狭間から飛び出した香具師は、壁へピッタリ背中を付け、力を罩めた足の指で、辷る甍を踏みしめ、四重目の家根[#「家根」はママ]を伝って行った。
 剣先まで来て振り仰ぎ、屋根棟外れを眺めたのは、鯱を見ようた
前へ 次へ
全86ページ中74ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング