の通りだ、花が咲いている」
「そんな事は解っている」
「どうしてどうして解るものじゃあねえ。と云うのは花の種類よ。おいお若いの、先ずご覧、幾色の花があると思う」
「ふん」と香具師は憎くさげに「花作りじゃああるめえし、そんな事が何んで解る」
「三百種あるのだ、三百種」
「へえ、そんなにも有るのかい」香具師も鳥渡《ちょっと》驚いたらしい。「そんなに作って何んにするんだ」
「しかも普通の花じゃあ無い」老人は俄に真面目になった。「毒草だよ、毒草だよ」
「毒草!?[#「!?」は1マスに横並び]」
 と香具師は鸚鵡返した。少し顔が蒼白くなった。
「おいおいお若いの、何が恐ろしい。恐ろしいことは些少ない。毒草が厭なら云い換えよう、薬草だよ、薬草だよ」
「ははあ成程、薬草なのか」香具師は顔色を恢復した。
「おい、お若いの、あの花を見な」
 老人は一つの花を差した。五弁の藍色の花であった。
「何んだと思うな、この花を?」
「ふん、俺が何んで知る」
「亜剌比亜《あらびや》草よ、亜剌比亜草だ、絶対に日本には無い花だ。本草学にだって有りゃあしない。ところで此奴から薬が採れる。名付けて亜剌比亜麻尼と云う。一滴で人間の生命が取れる。殺人《ひとごろし》をすることが出来るのさ。……此奴は何うだ、知ってるかな?」
 一つの花を指差した。白色粗※[#「米+造」、読みは「ぞう」、第3水準1−89−87、76上−15]の四弁花であった。
「いいや、知らねえ、何んで知るものか」
「教えてやろう、虎白草だ。採れた薬を五滴飲ませると、間違い無しに発狂する。……扨《さて》、ところで此花は何うだ? 知っているかな、え、若いの?」
 黄色い花を指差した。
 香具師は黙って首を振った。
「教えてやろう、山猫豆だ。採れた薬を眼の中へ注ぐと一瞬にして潰れて了う。……此花は何うだ? 知ってるかな?」黒色の花を指差した。
 香具師は返辞をしなかった。
「知る筈が無いさ、知る筈が無いさ、本草学にだって無いんだからな。これは西班牙《いすぱにや》の連銭花だ。何んと美しい黒色では無いか。花弁に繊毛が生えている。が、決して障っては不可ない。障ったが最後肉が腐る。それはそれは恐ろしい花だ。……ところであの花を何んだと思う?」
 金黄色の花を指差した。
 香具師は返辞をしなかった。気味悪そうに見ただけであった。
「俗名惚草という奴だ。採った薬が惚れ薬だ。アッハッハッハッ洒落た花だろう。茶の中へ垂らして飲ませるのさ。間違い無く女が惚れる。お望みなら分けてやろう。……さて最後に此花だ。若いの、見覚えがあるだろうな?」
 深紅の花を指差した。
 焔が燃え乍ら凍ったような、凄い程紅い花であった。
 正しく香具師には見覚えがあった。
「唐土渡来の眠花!」
「然うだ」老人は気味悪く笑った。

     一二

「然うだ」と老人は最う一度云った。「唐土渡来の眠花だ。二年生草本だ。茎の高さ四五尺に達し、その葉には柄が無い。葉序は互生、基部狭隘、辺縁に鋸歯《きょし》状の刻裂がある。四枚の花弁と四個の萼《がく[#「がく」は底本では「かく」と誤記]》、花冠は大きく花梗は長い。雄蕊は無数で雌蕊は一本、花弁散って殼果を残し、果は数室に分かれている室には無数の微細の種子が、白胡麻のように充ちている。これから採った薬液を、幻覚痲痺[#「痲痺」は底本では「痳痺」と誤記]性眠剤と呼ぶ。その採り方がむずかしい」
 老人の説明は音楽のような、快い調子を持っていた。
「花落ちて三週間、果実の表面が白粉を帯びる。その時鋭い匕首を以て、果実へ三筋切傷を付ける。この呼吸が困難しい。まず一人が果実を支える。支え方もむずかしい。食指と中指の中間で、その最下端を支えなければならない。それから拇指《ぼし》で頭部を抑え、しずかに前方へ引き寄せる。右手の匕首をそろそろと宛て、果実の中腹へ傷を入れる。その入れ方にもコツがある。深さ二厘|乃至《ないし》三厘、一回に三条入れなければならない。夫れから数を百だけ呼ぶ。呼んだ時分に液が出る。ギヤマンの壺を夫れへ宛てる。竹篦で液を掬い取る。切り手と掬い手とは異わなければならない。即ち二人を要するのだ。普通一つの果実から、四回迄は採収出来る。第二回目の採収は一日後にやるがいい。三回目は二日後だ。四回目は三日後だ。午前十時から午後四時迄、液汁の分泌が特に多い。そうして曇天降雨の時には、更に一層分泌が多い。乾燥の時低温の時、分泌量が減少する。偖、次は製薬法だ。壺から竹の皮へ移さなければならない。これへ小量の種油を雑ぜる。二十五日間天日に干す。尚暖爐を用いてもいい。乾いた所で薬研へ入れる。そうして微塵に粉末にする。こうして出来上った薬品が、幻覚痲痺[#「痲痺」は底本では「痳痺」と誤記]性眠剤だ」
 ひょい[#「ひょい」に傍点]と
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