る。一体どうしたというのだろう」
 万般が法則に叶っていて、それ一つだけが破格だけに、彼には不思議でならなかった。
「納屋で無し厩舎で無し、湯殿で無し離座敷でなし、どういう用のある建物だろう?」
 どう考えても解らなかった。
「不|躾《しつけ》乍ら訪問して見よう」
 彼はこう思って丘を下りた。表門は厳重に鎖されていた。しかし潜戸が開いていた。構わず内へ這入って行った。森閑として人気が無かった。可成り大きな屋敷だのに、人の姿の見えないというのは不思議と云えば不思議であった。玄関に立って案内を乞うた。
「ご免下さい。ご免下さい」
 どこからも返辞が来なかった。尚二三度呼んで見た。矢張り返辞は来なかった。香具師は些か当惑した。
「裏の方にでもいるのだろう」
 裏の方へ廻って行った。だが誰もいなかった。
 ひっそりとして寂しかった。
 近所に家は一軒も無かった。
 香具師は次第に大胆になった。例の奇形な建物の方へ、ズンズン足早に進んで行った。
 建物の戸口が開いていた。で彼は這入って行った。

     一一

 一歩踏み入った香具師は「やっ」と云って眼を見張った。
 長方形の建物一杯、天上の虹でも落ちたかのように、紅白紫藍の草花が、爛漫と咲いていたからであった。
 建物は仕切られていなかった。端から端まで見通された。左右の壁に棚があり、それが階段を為していた。その上に大小無数の鉢がズラリと行儀よく並べられてあり、それが一つ一つ眼眩くような、妖艶な花を持っているのであった。
 部屋の恰度真中所に、一基の寝台が置いてあり、その上に老人が横臥っていた。八十歳あまりの老人で、身に胴服を纏っていた。手に煙管を持っていた。それは非常に長い煙管で、火盞が別して大きかった。
 香具師は老人をじっと見た。
「あっ」とばかりに仰天した。見覚えのある老人だからで。――
「おっ、お前か、爺く玉奴!」香具師は声を筒抜かせた。
「お若いの、よく見えた」老人は寝台から起き上った。「無作法な奴だ、爺く玉だなんて言葉を謹め、若造の癖に」こうは云ったが老人は、別に怒ってもいないようであった。
「驚いたなあ」と香具師は、部屋の中を見廻わした。
「何んだい一体この部屋は?」
「流石のお前にも解らないと見える。教えてやろうか、南蛮温室だ」
「え、何んだって、南蛮温室だって? で、一体何んにするものだ?」
「ごらん
前へ 次へ
全43ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング