云い出した。
「よし」と云うと一|刎《は》ね刎ね、木間へスポリと飛び込んだかと思うと、苔蒸した石を抱えて来た。
「こいつを足場にしてやろう」
そっと窓下へ石を置いたが、やがてその上へヒョイと乗ると、背延びをして小穴から覗き出した。
「ワーッ、有難《ありがて》え、よく見えらあ」
それから熱心に覗き出した。
「ワーッ、姐ごめ、嘘は云わなかった。ほんとにほんとに弁才坊め、いろいろの機械を持ってやがる……ははああいつが設計図、ははああいつが測量機、ははああいつが鑿孔機《せんこうき》、うんとこさ[#「うんとこさ」に傍点]書籍《ほん》も持っていやがる……オヤオヤオヤ人形もあらあ、やアいい加減|爺《じじい》の癖に、あんな人形をいじって[#「いじって」に傍点]いやがる。待てよ待てよ、そうじゃアねえ。ありゃア娘の人形なんだろう。だって娘だっていい年じゃアないか。そうそう確か十八のはずだ。ええとそうして民弥と云ったっけ……おかしいなあ、おかしいや、弁才坊と民弥とが、人形を挿《はさ》んで話し込んでいるぜ。民弥め別嬪だなあ。家の姐ごよりずっと[#「ずっと」に傍点]綺麗だ。俺《おい》らの姉さんならいいんだけれど、そうでないんだからつまんねえ[#「つまんねえ」に傍点]。俺らの嫁さんにならねえかな。あっちの方が年上だから、どうもこいつ[#「こいつ」に傍点]も駄目らしい……え、何だって? 何か云ってるぜ! ……「この人形を大事にしろ」……ウフ、何でえ面白くもねえ、つまらねえ事を云っていやがる……え何だって何か云ってるぜ! ……『秘密の鍵は第三の壁』……何だか些少《ちっと》も解《わか》らねえ……何でもいいや、一切合切、みんな姐ごに話してやろう」
こんなことを口の中で呟きながら、風船売の少年は、障子の穴から覗いている。
日がだんだん暮れてきた。南蛮寺の鐘も今は止み、合唱の声も止んでしまった。
庭木の陰が次第に濃くなり、夜が間近く迫ってきた。
と、突然家の内から、「これ、誰だ。覗いているのは!」弁才坊の声がした。
「ワッ、いけねえ、目つかっちゃった」
石から飛び下りた風船売の少年、庭木の陰へ隠れたが、その素早さというものは、人間よりも猿に近い。
と内から窓があき、顔を出したは弁才坊で、グルグルと庭を見廻したが、神経質の眼付、ムッと結んだ口、道化た俤など少しもない。眼を付けたは窓下の石!
「石を足場にして覗いたな、さして高くもない窓だのに……とすると子供に相違ない。が、子供でも油断は出来ない……民弥々々!」と声をかけた。
「はい」と民弥が顔を出した。「近所の子供でございましょう。無邪気に覗いたのでございましょう」
そういう民弥こそ無邪気であった。
「さあそいつ[#「そいつ」に傍点]が解らない」いぜん弁才坊は不安らしい。「私の探った秘密というものは、一通りならぬものだからな。いろいろの人間が狙っていよう」
「申す迄もございません」――だが民弥は苦にもしないらしい。
「で、ちょっとの油断も出来ない」
「物騒な浮世でございますから」だが民弥はやっぱり無邪気だ。
「全くどうも物騒だよ、北山辺りにも変な人間がいるし、洛中にも変な人間がいる」
「そうして諸方の国々では、今日も戦争、明日も戦争、恐ろしいことでございます」これだけは民弥も真剣であった。
「そればかりではない紅毛人までが、ユサユサ日本へやって来て、南蛮寺などを建立してしまった」弁才坊はひどく不満そうである。
「でもお父様」と娘の民弥は、どうしたものか微妙に笑った。
「その南蛮寺が建ったればこそ、お父様には今回のご研究が出来たのではございませんか」
「それはそうだよ」と云ったものの、やはり弁才坊は不満らしい。だがにわかに態度を変えた。
「どうやら宵も過ぎたらしい。さあさあ民弥さん寝るとしよう」剽軽の態度に帰ったのである。
「かしこまりました、弁才坊さん、おねんねすることに致しましょう」
二人窓から引っ込んだが、つづいて雨戸が閉ざされた。後はシーンと静かである。
とガサガサと庭木が揺れ、現われたのは先刻《さっき》の少年、「これからが俺の本役《ほんやく》さ」とまたもや窓へ近よったが、手を延ばすと窓を開け、そこから一つの風船を、家内《やない》へ飛ばせたものである。
6
その風船はユラユラと部屋の中へ入って行った。
さてその部屋の中であるが、弁才坊ただ一人、床を延べて伏せっていた。
うとうと眠っているらしい。部屋の中には燈火《ともしび》がない。で、闇ばかりが領している。その闇の部屋をユラユラと、白い風船が漂っている。スーッと天井まで上ったかと思うと、スーッと下へ下って来る。妖怪《もののけ》のようにも思われるし、肉体から脱け出た魂のようでもある。
しかし少年は何のために、そんな風船を飛ばせたのだ
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