嗄れた女の声で「もしもし」と彼を呼ぶ者がある。声のする方へ眼をやると、足を高く空へ上げ両手を確かりと地上へ突き、其手を足のように働かせながら歩み寄って来る女があった。蒼褪めた顔、乱れた頭髪、しかも胸から血をしたたらせ、食いしばった口からも血を流している。
「もし旅の和尚様、暫くお待ち下さいまし」
斯う云い乍ら近寄って来たが、
「どうぞ妾を背に負って川を渡して下さいまし」――思い込んだように云うのであった。
「いと易い依頼ではあるけれど……一体お前は何者だな?」
「此世の者ではござりませぬ。妾《わらわ》は幽霊でござります」
「その幽霊は解って居る。何の為めに此世へは現れたぞ?」
「はい、怨ある人間が此世に残って居りますゆえ…」
「それへ怨を返えしたいというのか!」
「仰せの通りでございます」
「折角の頼みではあるけれど、お前を負って川を渡ることはこの俺には出来かねる。人を助けるのが出家の役目だからの」
云い捨てて阿信は歩き出した。
四
「もし」と幽霊は尚呼びかけた。「せめて和尚様の突いて居られる其自然木の息杖でも残して行っては下さりませぬか」
「杖ぐらいなら進ぜようとも」
振り返えりもせず持っていた杖を阿信は背後へひょいと投げた。
「有難うござります」と、礼を云う声がさも嬉しそうに聞えたかと思うと、直ぐに幽かな水音が為《し》た。
阿信は思わず振り返った。
川の上に杖が浮いている。杖の上には女がいる。そうして杖は女と共にスルスルと対岸へ辷って行く……。
阿信は総身ゾッとして其儘其処へ立ち竦んだが、「南無幽霊頓生菩提!」と思わず声に出して唱えたのであった。
翌日彼は江戸へ着いた、其時不思議な噂を聞いた。――
秩父の代官河越三右衛門が、召使の婢《おんな》に濡衣を着せ官に訴えて逆磔《さかさはりつけ》に懸けた所、昨夜婢の亡霊が窓を破って忍び入り、三右衛門を喰い殺したというのである。――
「偖《さて》はそういう幽霊であったか。杖を遺したのが誤りであったが、夫れも止むを得ない因縁なのであろう」
で、五つの位牌の上へ更に二つの位牌を加えて、阿信は菩提を葬った。
稚子法師の名声は江戸に迄も聞えていた。
其稚子法師の本人が此度江戸へ来たというので其評判は著聞《いちじる》しかった。併し阿信は其評判を有難いとも嬉しいとも思わなかった。却って迷惑に思いさえした。
勿論誰に招かれても決して招待に応じなかった。化物屋敷と呼ばれている牛込榎町の真田屋敷へ、好んで自分から宿を取って一人で寂しく住んでいた。
千五百石の知行を取った真田和泉という旗本が数代に渡って住んだ所で、代々の主人が横死した為め化物屋敷の異名をとり、立派な屋敷でありながら今は住む人さえ無いのであった。
「生きて居る人も死んだ人も僧侶に執っては変りは無い。幽霊や妖怪が有ればこそ僧という役目が入用なのだ」
斯う阿信は人にも語り自分でも固くそう信じて真田屋敷へは住んだのであった。
それは石楠花《しゃくなげ》の桃色の花が木下闇に仄々と浮び、梅の実が枝に熟するという五月雨時のことであったが、或夜何気なく雨の晴間に雨戸を一枚引き開けた庭の景色を眺めていると、築山の裾にぼんやりと袴を着けた小侍が此方を見乍ら立っていた。
「誰人?」と阿信は声を掛けた。するとつつましく頭を下げたが其瞬間に小侍の姿は掻き消すように消えたのである。
「これが化物の正体だな」
阿信は思わず呟いた。
斯ういうことがあってから、その袴を穿いた小侍の姿は、度々彼の前へ現れた。そうして終《つい》には彼と幽霊とは互に話を為すようにさえなった。
或夜、その男が現われたので、彼は急いで呼びかけた。
「同じ屋敷に住んでいる上は、其方も俺も友達である。屋敷へ上がって茶でも呑むがよい」
「それではご馳走になりましょうか」
斯う云うと其男は上がって来た。そこで阿信は茶を淹れて互に隔意無く話し込んだ。男の様子には異った所も無い。別して今宵は楽しそうになにくれとなく物語った。そこで阿信は斯う云って見た。
「さても其方は何者ぞ? 今夜はありように語るがよい。そうして今後は一層仲好く頼まれもし頼みもしようではないか」
すると其男は俯向いていたが、此時静かに顔を上げた。
「ご好意有難くはござりますが、今宵限り和尚様ともお目にかかることはありますまい」
斯う云うと復も俯向いた。
「深い事情がありそうだな。ひとつ其事情を聞き度いものだ」
「お安いご用でござります。それではお話し致しましょう。私事は司門と申して此真田家の五代前の主人に仕えていたものでござります。主人和泉の朋友に但馬という方がござりました。そして其方のお妹御に雪と申すお娘御がござりましたが、大変お美しゅうござりましたので主人和泉が懸想を致し妻に貰い度いと申入れましたところ、但馬様から拒絶られ、それを恨に持って私の主人は風雨劇しく降る晩に鉄砲を以て但馬様を暗殺になされたのでござります。ところで主人の其振舞いは私を抜かしては誰一人知っている者がござりませぬ所から、卑怯にも私を庭へ連れ出し築山の裾で只一刀に惨殺したのでござります……如何に主人とは申しながらあまりと云えば惨虐非道! 死んでも死に切れず悪霊となって、其主人は申すに及ばず五代つづけて取り殺し今に立至ったのでござりますが……」
五
「然るに……」と亡霊は云いつづけた。「然るに今度計らずも稚子法師様にお目にかかり、何彼とお話しを承わり且は尊いお舞いを拝見致して居ります中、妄執次第に晴れ渡り、今は此世に思い置く事何一つとしてござりませねば今夜を限りに此土地から立ち去るつもりでござります」
斯う云うと小侍は恭しく畳へ頭をすり付けたが途端にすっッと姿は消え、果して其夜を最後として其小侍の亡霊姿は再び屋敷へ現れなかった。
斯ういう事があってから稚子法師阿信の評判は益々江戸に高くなり、訪ねて来る人や招き度い人が、日に日に多くなったのを迷惑に感じたからでもあろうか、突然阿信は身を隠した。全然行衛を眩ませたのであった。
で、彼の噂は人々の口から自然に遠ざかり遂には全く忘られて了った。斯うして幾年か経過した、その時京都白川の里で尊い聖僧が衆人の前で生ながら土中に埋もれて入定したと云う噂が諸国の人々に依って語られたが、其聖僧こそ他ならぬ稚子法師であろうと評判された。
「衆人の前で土中に埋もれ入定するとは尊厳の事だ。いかにも稚子法師に相応しい事だ」
そういう評判を聞いた人は知るも知らぬも斯う云う稚子法師の最後振りを賞讃した。そうして涙を流しさえした。斯うして又も幾年か経ち、やがて天保十四年となった。其時死んだ筈の稚子法師が意外にも此世へ現れて来た。
其時の様子を「翁問答」には次のように面白く記してある。
『花園少将通有卿、白川の地に館を立て、几張の局と住み給ひしが、不思議や前庭の花園に当りて念仏の声幽にきこゆ。松吹く風かと思へども念仏の声に紛れ無し、声の在所を止めて行けば思はざりき牡丹の下なり、青侍二人を召して、花下の土を掘らせ給う。楠の板一枚あり。刎起《はねお》こして下を覗けば、年老いたる法師一人念仏詣りて余念無し。助け出して何者と問へば稚子法師阿信なりと答ふ。何故地下には居給ふぞと訊けば数年以前に入定はしたれど未だ往生出来ずと云ふ。
「何故往生為給はぬぞ?」
「主人我を招き給はぬ故」
其時、虚空[#「虚空」は底本では「虎空」]に白馬現はれ、白衣の武士薙刀を揮って、
「主水! 主水! 参れ!」と呼ぶ。
刹那、阿信の姿崩れ、五|蘊《うん》[#「五|蘊《うん》」は底本では「五《うん》蘊」]四大に帰し終んぬ。云々』
底本:「妖異全集」桃源社
1975(昭和50)年9月25日発行
初出:「文芸倶楽部」
1924(大正13)年8月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:阿和泉拓
校正:門田裕志、小林繁雄
2004年12月13日作成
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