人の人影が、タラタラと一勢に現われたが、旅侍を取り巻くや、四方からドッと切り込んだ。
「うむ、出たか! 待っていたようなものだ」
嘯《うそぶ》くように云ったかと思うと、抜打ちに一人を切り斃し、
「すなわち人殺《ひとごろし》受負業《うけおいぎょう》! アッハッハッハッ、一人切ったぞ」
その時、
「引け」という声がした。……途端に刺客の人影は、八方に別れて散ってしまった。
「おかしいなあ」と佇んだまま、旅侍は呟いたが、
「はてな?」ともう[#「もう」に傍点]一度呟いた。
というのは行手、眼の先へ、加賀屋と記された提燈が、幾個《いくつ》か現われたからである。
「宇和島様でございましょうな。加賀屋からのお迎えでございます」
手代風の一人が進み寄ったが、こう旅侍へ声をかけ、さも丁寧に腰をかがめた。
ところがこれも同じ晩に、もう一つ奇怪な出来事が起こった。
一人の立派な老人が、それは加賀屋源右衛門であるが、手燭をかかげて土蔵の中を、神経質に見廻していた。土蔵の中に積まれてあるのは、金鋲を打った千両箱で、それも十や二十ではない。渦高いまでに積まれてある。その一つの前へ来た時である。
「あッ」と老人は声を上げた。
と、その声が呼んだかのように、土蔵の口へ現われたのは、顔に醜い薄|痘痕《あばた》のある、蔵番らしい男であったが、手に匕首《あいくち》を握っている。じっと狙ったは老人の首で、ジリジリジリジリと擦り寄って行った。
11[#「11」は縦中横]
「親分おいででござんすかえ」
「はいはいおいででございます」
「これは親分お早うございます」
「はいはいお早うございます」
「たんへんな事件《こと》が起こりましたので」
「ははあ左様で、承《うけたま》わりましょう」
「加賀屋の主人が消えましたんで」
「これは事件《こと》でございますな」
「昨夜《ゆうべ》のことでございますよ」
「ははあ左様で、昨夜のことで」
「いまだに行方が知れませんので」
「なるほどこれは大変なことで」
「家内中大騒ぎでございますよ」
「これは騒ぐのが当然で」
「ところがああいう大家のことなので、表立って世間へは知らせられないそうで」
「もっとももっとも……もっとももっとも」
「それ信用にも関しますので」
「左様どころではございません」
「一通り訊いては参りました」
「これはお手柄、承わりましょう」
「ええと昨夜も更けた頃に、町方のお役人がこっそりと、加賀屋へ参ったそうでございますよ」
「ああ町方のお役人様がね」
「で主人と逢いましたそうで」
「ああ左様で、源右衛門さんとね」
「ええそれからヒソヒソ話……」
「ははあお役人と源右衛門さんがね」
「と、どうしたのか源右衛門さんには、にわかに血相を変えまして、奥へ入ったということで」
「なるほどね、なるほどね」
「つまりそれっきり消えましたそうで」
「なるほどね、なるほどね」
「ところがもう一つ不思議なことには……」
「はいはい、不思議が、もう一つね」
「その夜若旦那も帰りませんそうで」
「へーい、なるほど、源三郎さんもね」
「親子行方が知れませんそうで」
「それは、まあまあ[#「まあまあ」に傍点]大変なことで」
聞いているのは岡引の松吉で、その綽名《あだな》を「丁寧松」といい、告げに来たのは松吉の乾兒《こぶん》の、捨三《すてさぶ》という小男であった。
所は神田|連雀《れんじゃく》町の丁寧松の住居《すまい》であり、障子に朝日がにぶく[#「にぶく」に傍点]射し、小鳥の影がぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]とうつる、そういう早朝のことであった。
捨三が旨を受けて行ってしまうと、丁寧松は考え込んだ。
その時お勝手から声がした。
「何だいお前、お菰《こも》の癖に、親分さんに逢いたいなんて」
ちょっと小首を傾げたが、ツイと立ち上った丁寧松は、きさくにお勝手へ出て行った。
「お梅さんお梅さんどうしたものだ、お菰さんだろうと何だろうと、お出でなすったからにはお客さんだよ。不可《いけ》ない不可ない、粗末にしては不可ない」
下女のお梅をたしなめ[#「たしなめ」に傍点]たが、ヒョイと丁寧松は眼をやった。乞食が勝手口に立っている。
「これはいらっしゃい。何か御用で?」
「へい」と云ったが入って来た。
「お貰いに参ったんじゃアございません、お為になろうかと存じましてね。ちょっとお聞かせにあがりましたんで」
「ああ左様で、それはそれは。……お梅さんお梅さん向うへ行っておいで。……さあさあ貴郎《あなた》遠慮はいらない。おかけなすって、おかけなすって」
「ここで結構でございますよ、実はね親分」と話し出した。
「人殺しがあったんでございますよ」
「へーい、人殺し? それはそれは」
「そいつをあっし[#「あっし」に傍点]は見ていたんで」
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