むな」と若侍は、グット胸を反らせたが、
「厭だと云ったらどうなさる」
「さればさ」と云うと黒鴨の武士は、スラスラとスラスラ左手へ寄った。間《あわい》一間、そこで止まると、ピンと右手の肘を上げた。と自然に掌が、柄の頭へあてられた。薄っペラな態度や声にも似ず、腰が据わって足の踏まえ、ピッタリ定《き》まって立派な姿勢。上げた右肘で敵を圧し、全身を斜めに平めかせ、首を幾何《いくばく》か前方へ曲げ、額い越しに睨んで狙いすました。籠めた気合で抜き打ったら、厭でも太刀は若侍の、左胴へ入るに相違ない。根岸|兎角《とかく》を流祖とした、微塵《みじん》流での真の位、即ち「捩螺《れいら》」の構えである。
「ううむこいつは素晴らしい」
 それと見て取った若侍は、こう思わず呟いたが、
「しかも不気味な腥《なまぐさ》い、殺気が鬱々と逼って来る。剣呑だな、油断は出来ない」
 しかしよくよく若侍には、腕に自信があると見え、刀の柄へ手もかけず、ブラッとしたままで立っていた。
 と、黒鴨の武士であるが、別に切り込んで行こうとはせず、あべこべ[#「あべこべ」に傍点]にヒョイと後退《あとじさ》ると、ダラリと両手を両脇へ下げ、それからまたも懐手をしたが、薄っペラの調子で喋舌《しゃべ》り出した。
「ざっとこんな[#「こんな」に傍点]恰好で。つまり貴殿不承知なら、秘密の小口を明かせた手前、生かしては置かぬ! 叩っ切る! と云うことになりますので。……と云うとおっかない[#「おっかない」に傍点]話になるが、何のこんなにも旨い話、貴殿諾かずにおられましょうか。承知と云われるは知れたことで。……だが日当不足となら、清水の舞台から飛んだつもりで、一日十両まで糶《せ》り上げましょう。これでは御不満ありますまいな。手を拍ちましょう、シャンシャンシャン! いかがなもので? シャンシャンシャン!」
 呑んでかかった態度である。




 こいつを聞くと若侍は、にわかに愉快になったらしい。
「一風変わった悪党だわえ。よしよし面白い面白い、ひとつこいつの手に従《つ》いて、殺人《ひとごろし》請負業を開店《ひら》いてやろう。天変地妖相続き、人心恟々天下騒然、食える野郎と食えぬ野郎と、変にひらき[#「ひらき」に傍点]があり過ぎる。こんな浮世ってあるものか。殺人だって必要さ」
 そこで若侍はズバリと云った。
「きっと十両出されるかな?」
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