び音だ。
グルッと振り返った若侍は、
「拙者のことで?」と隙かして見た。
黒頭巾で顔を包んでい、黒の衣装を纏っている。いわゆる黒鴨|出立《いでた》ちであった。体のこなし[#「こなし」に傍点]、声の調子、どうでも年は三十七八、そういう武士が立っていた。
大小をピンと胸高に差し、率爾ながらと呼びかけた癖に、何と無礼! 懐手《ふところで》をしている。ひどく横柄なところがあり、見下だしたような所がある。
胸を悪くした若侍は、
「今夜はよくよく変な晩だ、いろいろの芸人が登場するよ」
こう思ったのでぶっきら[#「ぶっきら」に傍点]棒に、
「御用かの! この拙者に?」
すると向こうの武士が云った。
「感嘆してござるよ、立派な腕前」
「大変な黒鴨が出やアがった。俺を褒めるとは度胸がいいや。褒めるからには褒めっ放しでもあるまい。いずれ可《い》い物でもくれるのだろう」
可笑《おか》しくなったので若侍は、
「お弱《よお》うござんしたからな、先方が」
「なかなかもって」と黒鴨の武士は、
「彼等も相当の手利きでござる」
「ははあ」と云ったが感付いた。
「さては貴殿のお仲間だの」
「さよう」とわるく[#「わるく」に傍点]おちついている。
4
「そうか」と云ったが若侍は、今度は少し腹を立てた。
「では早速お訊き致す、何故拙者を襲われた?」
まごまごした返事でもしようものなら、叩っ切ってやるぞと云うように、ヌッと一足進み出た。
しかし、相手の黒鴨も、何かに自信があると見え、その横柄さを持ち続け、
「士官[#「士官」はママ]なさる気はござらぬかな?」
こんなことを云い出した。
「え、士官? 貴殿にかな?」
これには若侍は参ってしまった。
(どうもいけないや、俺より上手だ)
そこで茫然《ぼんやり》して絶句した。
すると、黒鴨の武士が云った。
「長くとは申さぬ、一カ月余」
それからスルスルと進み寄ったが、囁くように云いつづけた。
「悪いことは申さぬ士官おしなされ。もっとも主取りの御身分なら、無理にもお進め出来ないが。いやいや先刻《さっき》からの御様子でみれば、かけかまい[#「かけかまい」に傍点]のない御身上らしい。それで敢てお進めいたす。士官おしなされ士官おしなされ。実は」と云うといよいよ益々、声を細めて囁くようにしたが、
「ここ数夜、この界隈で、拙者試していたのでござ
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