幸いにな……」
「さようでござるかな。それで安心。……」老人はホ――ッと溜息をしたが、その様子でその老人がどんなに心配をしていたかが十分想像出来そうである。


    ここにもある六歌仙

 専斎は懐中から紙入れを出した。キラキラ光る銀色のナイフ、同じく鋸《のこぎり》、同じく槌、それから幾本かのピンセット。――外科の道具を抜き出したが、まず一本のナイフを握ると一膝膝をいざり[#「いざり」に傍点]出た。……患部へ宛ててスッと引く。タラタラと流れ出る真っ赤の血を用意の布《きれ》で拭《ぬぐ》い眼にも止まらぬ早業で手術の手筈を付けて行く。
 もうこの時には彼の心には、陰森と寂しい部屋の態《さま》も、痩せた覆面の老人の姿も、確かに人間ではあるけれど人間ならぬ不思議な肌の小気味の悪い患者のことも、ほとんど存在していなかった。彼の心にあるものは、危険性を持った奇怪な傷をどうしたらうまく癒せるかという医師的責任感ばかりであった。
 こうして間もなく消毒も終え、クルクルと繃帯を巻き了《お》えると、
「これでよろしい」と静かにいった。「熟《う》みさえせねば大丈夫でござる」
「熟《う》みさえせねば?」と不
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