それでは絵のご用か」
「仰せの通りにござります」
「よろしゅうござる。何んでも描きましょう」
信輔すぐに承引《しょういん》した。氏長者《うじのちょうじゃ》の依頼《たのみ》であろうとポンポン断る信輔が、こう早速に引き受けたのはハテ面妖というべきであるが、そこには蓋もあれば底もあり、実は信輔この吉備彦に借金をしているのであった。あえて信輔ばかりでなくこの時代の公卿という公卿は、おおかた吉備彦に借りがあった。それで頭が上がらなかった。恐るべきは金と女! もう間もなくその女も物語の中へ現われよう。
「ところでどういう図柄かな?」
「はい」
といって吉備彦は懐中から紙を取り出した。「どうぞご覧くださいますよう」
「どれ」
と信輔は受け取った。
「おおこれは……」
というところを、吉備彦は急いで手で抑えた。
「壁にも耳がござります。……何事も内密に内密に」
「別に変わった図柄でもないが?」
「他に註文がござります」
「うむ、さようか。云って見るがいい」
「お耳を」と云いながら膝行《いざ》り寄った。
何か吉備彦は囁《ささや》いた。
この吉備彦の囁きたるや前代未聞の奇怪事で、これがすなわち
前へ
次へ
全111ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング