は地に落ちて来た。
「残念!」とばかり二の矢をつがえ再びひょうふっ[#「ひょうふっ」に傍点]と切って放したが、結果は一の矢と同じであった。二つに折れて地に落ちた。
 心掛けある源兵衛は三度射ようとはしなかった。弓を伏せて跪座《かしこ》まる。


    大鵬空に舞う

「源兵衛どうした。手に合わぬか?」家斉公は声をかけた。
「千年を経ました化鳥と見え、二度ながら矢返し致しましてござる」
「おおそうか、残念至極。そちの弓勢にさえ合わぬ怪物。弓では駄目じゃ鷹をかけい! 五羽ながら一度に切って放せ!」
「は、はっ」
 と五人の鷹匠ども、タラタラと一列に並んだが、拳に据えた五羽の鷹を屹《きっ》と構えて空へ向ける。さすがは大御所秘蔵の名鳥、プッと胸を膨張《ふくら》ませ、肩を低く背後《うしろ》へ引く。気息充分籠もると見て一度に颯《さっ》と切って放す。と、あたかも投げられた飛礫《つぶて》か、甲乙なしに一団となり空を斜めに翔《か》け上った。
 家斉公は云うまでもなく五十人のお供の面々は、固唾《かたず》を呑んで眺めている。その眼前で五羽の鷹、大鵬を乗り越し上空へ上るや一時にバラバラと飛び散ったがこれぞ彼らの慣用手段で、一羽は頭、一羽は尻、一羽は腹、二羽は胴、化鳥の急所を狙うと見る間に一度に颯と飛び掛かった。
 ワッと揚がる鬨の声。お供の連中が叫んだのである。
「もう大丈夫! もう大丈夫!」
 家斉公も我を忘れ躍り上がり躍り上がり叫んだものである。しかしそれは糠喜《ぬかよろこ》びで、五羽の鷹は五羽ながら、投げられたように弾き飛ばされ、空をキリキリ舞いながら枯れ草の上へ落ちて来た。
 五羽ながら鷹は頭を砕かれ血にまみれて死んでいる。しかも大鵬《おおとり》は悠然と同じ所に漂っている。
 物に動ぜぬ家斉公も眼前に愛鳥を殺されたので顔色を変えて激怒した。
「憎き化鳥! 用捨はならぬ! 誰かある誰かある退治る者はないか! 褒美は望みに取らせるぞ! 誰かある誰かある!」
 と呼ばわった。しかし誰一人それに応じて進み出ようとする者はない。声も立てず咳《しわぶき》もせず固くなってかたまっている。これが陸上の働きならば旨《むね》を奉じて出る者もあろう。ところが相手は空飛ぶ鳥だ。飛行の術でも心得ていない限りどうにもならない料物《しろもの》である。ましてや弓も鷹も駄目と折り紙の付いた怪物である。誰が何んのために出て来るものか。
 忽然この時林の中から一人の若者が走り出た。すなわち藪紋太郎である。
 紋太郎は遙か彼方《あなた》から此方《こなた》に向かって一礼したが、その眼を返すと空を睨んだ。二尺八寸短い吹筒、つと[#「つと」に傍点]唇へ当てたかと思うと大きく呼吸《いき》をしたらしい。ぴかりと光った白い物。それが空を縫ったらしい。その瞬間に恐ろしい悲鳴が空の上から落ちて来た。と、その刹那空の化鳥が一つ大きく左右に揺れたが、そのままユラユラと落ちて来た。しかしそこは劫《ごう》を経た化鳥、地へ落ちて死骸を曝らそうとはしない。さも苦しそうに喘ぎ喘ぎ地上十間の低い宙を河原の方へ翔けて行く。そうしてそれでも辛うじて広い河原を向こうへ越すと暮れ逼《せま》って来た薄闇の中へ負傷《いたで》の姿を掻き消した。

 どんなに大御所が喜んだか? どんなに紋太郎が褒められたか? くだくだしく書くにも及ぶまい。
「紋太郎とやら、見事見事! 遠慮はいらぬ褒美を望め!」破格をもって家斉公は直々言葉を掛けたものである。
「私、無役にござりまする。軽い役目に仰せ付けられ、上様おため粉骨砕身、お役を勤むる事出来ましたなら有難き儀に存じまする」これが紋太郎の希望《のぞみ》であった。
「神妙の願い、追って沙汰する」
 これが家斉の言葉である。
 はたして翌日若年寄から紋太郎へ宛てて差紙《さしがみ》が来た。恐る恐る出頭すると特に百石のご加増があり尚その上に役付けられた。西丸詰め御書院番、役高三百俵というのである。
 邸へ帰ると紋太郎は急いで神棚へ燈明を上げた。貧乏神への礼心である。


    奇怪な迎駕籠

 ある夜、奥医師専斎の邸へ駕籠が二挺横着けされた。一つの駕籠は空であったが、もう一つの駕籠から現われたのは儒者風の立派な人物であった。
「大学頭《だいがくのかみ》林家より、参りましたものにござりまするが、なにとぞ先生のご来診を得たく、折り入ってお願い申し上げまする」
 これが使者の口上であった。もうこの時は深夜であり、専斎は床にはいっていたが、断わることは出来なかった。同じ若年寄管轄でも、林家は三千五百石、比較にならない大身である。
 で、専斎は衣服を整え薬籠を持って玄関へ出た。
「深夜ご苦労にござります」儒者風の使者《つかい》はこういって気の毒そうに会釈したが、「駕籠を釣らせて参りましてござる。いざお乗り
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