二頭の馬がいる。
やがて駕籠脇に武士が付いて一行粛々と歩き出した。
「お大事に遊ばせ」「またお帰りに」こういう声を聞き流し紋太郎も続いて宿を出た。
今日も晴れた小春日和で街道は織るような人通りだ。商人、僧侶、農夫、乞食、女も行けば子供も行く。犬の吠え声、凧《たこ》の唸り、馬の嘶《いななき》、座頭の高声、弥次郎兵衛も来れば喜太八も来る。名に負う江戸の大手筋東海道の賑やかさは今も昔も変わりがない。
その人通りを縫いながら駕籠と馬とは西へ下った。そうしてそれを追うようにして紋太郎も西へ下るのであった。
藤沢も越え平塚も過ぎ大磯の宿を出外れた時、何に驚いたか紋太郎は「おや」といって立ち止まった。
「これは驚いた、貧乏神が行く」
なるほど、彼から五間ほどの前を――例の駕籠のすぐ後から――後ろ姿ではあるけれど、渋団扇を持ち腰衣を着けた、紛《まご》うようもない貧乏神がノコノコ暢気《のんき》そうに歩いて行く。
「黙っているのも失礼にあたる。どれ追い付いて話しかけて見よう」
こう思って足を早めると、貧乏神も足を早め、見る見る駕籠を追い抜いてしまった。
「よしそれでは緩《ゆっく》り行こう」――紋太郎はそこで足をゆるめた。
するとやはり貧乏神も、ゆっくりノロノロと歩くのであった。
こうして一行は馬入川も越し点燈頃《ひともしごろ》に小田原へはいった。
越前屋という立派な旅籠屋。そこが一行の宿と決まる。
戸外《そと》では雪が降っている。
旅籠屋の夜は更けていた。人々はおおかたねむったと見えて鼾《いびき》の声が聞こえるばかり、他には何んの音もない。
静かに紋太郎は立ち上がった。障子を開け廊下へ出、階段の方へ歩いて行く。
階段を下りると階下の廊下で、それを右の方へ少し行くと、目差す部屋の前へ、出られるのであった。
そろそろと廊下を伝いながらも紋太郎は気が咎めた。胸が恐ろしくわくわくする。しかし目差すその部屋がすぐ眼の前に見えた時にはぐっと[#「ぐっと」に傍点]勇気を揮い起こしたが、その部屋の前に彼より先に、一人の異形な人間が部屋の様子を窺いながらじっと[#「じっと」に傍点]佇んでいるのを見ると仰天せざるを得なかった。しかも異形のその人間は渋団扇を持った貧乏神である。
「むう、不思議! これは不思議!」
――思わず紋太郎が唸ったのはまさにもっとものことである。
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