さんか」
 昔のお仲間、道化のトン公、三尺足らずの福助頭――それが笑いながら立っていた。
「たしかにそうだとは思ったが、何しろ様子が変っているだろう。穏《おとな》し作りのお嬢さん、迂闊《うっか》り呼び掛けて人|異《ちが》いだったら、こいつ面目《めんぼく》がねえからな。それでここまでつけて[#「つけて」に傍点]来たのさ」
「まあそうかえ、どこで目付けたの?」
「うん、玉乗の楽屋でね。俺《おい》らあそこに傭《やと》われているんだ」
 二人は歩きながら話すことにした。
「……で、そういった塩梅《あんばい》でね、諏訪以来一座は解散さ。チリチリバラバラになったのさ。……随分お前を探したよ。親方にとっては金箱だし源公《げんこう》から見れば恋女だ。そのお前がどこへ行ったものか、かいくれ行衛《ゆくえ》が知れねえんだからな。そりゃア随分探したものさ。ああ今だって探しているよ。執念深い奴らだからな」
「そりゃあもう探すのが当然さ」
 お錦は何となく憂鬱に云った。「それで、随分怒っているだろうね」
「ああ随分怒っているよ。恩知らずの不幸者だってね。……そう親方が云うんだよ」
「実の親でもない癖に」お錦はにわかに反抗的に「不幸者が聞いて呆れるよ」
「そうともそうとも本当にそうだ」トン公はすぐに同情した。「怨こそあれ恩はねえ道理だ。いずれお前を誘拐《かどわか》したものさ」
「そうよ、妾の小さい時にね」
「その上ふんだん[#「ふんだん」に傍点]に稼がせてよ。あぶく銭を儲けたんだからな」
「恩もなけりゃ義理もない訳さ」
「ところでどうだな、今の生活《くらし》は?」
「さあね」とお錦は気がなさそうに「大してうらやましい生活でもないよ」
「そうかなア、不思議だなア」トン公は仔細らしく考え込んで「でもお前《めえ》伊丹屋といえば江戸で指折の酒屋じゃねえか。そこの養女ときたひにゃア云う目が出るというものだ」
「そりゃあそうだよ。云う目は出るさ。でもね、本当の幸福ってものは、そんなものじゃないと思うよ」
「それにお前《めえ》伊太郎さんは、お前の好きな人じゃアねえか」
「嫌いでなかったという迄の人さ。それにどうも妾とはね、気心がピッタリと合わないのだよ」
「ふうん、そうかなア、変なものだなア。……だが、オイ、そりゃア我儘ってもんだぜ」
 しかしお錦は黙っていた。
「だがマアお前《めえ》と逢うことが出来て、俺《おい》らほんとに嬉しいよ」ややあってこうトン公が云った。
「お前はそうでもあるめえがな」
「いいえ妾だって嬉しいよ」本心からお錦は云うのであった。「何といったって昔馴染だからね」
「そう云われると嘘にしても俺らは素敵にいい気持だよ」
 なるたけ人のいない方へと二人は歩いて行くのであった。
「それじゃお前さんはここ当分玉乗の一座にいるんだね」
「他に行き場もないからな」
「それじゃいつでも逢えるのね」
「だが余《あんま》り逢わねえがいい、今じゃ身分が異《ちが》うんだからな」
「莫迦をお云いな。逢いに行くわよ」
「それに親方も源公もいずれ江戸の地にはいるんだからな、あんまり暢気《のんき》に出歩いていて目付けられると五月蠅《うるさい》ぜ。何しろ源公ときたひにゃア、未だにお前に夢中なんだからな」
「源公なんかにゃ驚かないよ」お錦はむしろ冷笑した。「それこそ一睨みで縮ませて見せるよ」
「そりゃあマアそうに異《ちげ》えねえが……」
 トン公はやはり心配そうであった。



 二三日経った或日のこと、浅草観音の堂の側《わき》に、目新しい芸人が現われた。莚を敷いたその上で大きな鼬を躍らせるのであったが、それがいかにも上手なので、参詣の人の注意をひいた。
 芸人の年輩は不明であったが、四十歳から六十歳迄の間で、左の耳の根元の辺りに瘤のあるのが特色であった、陽にやけた皮膚筋張った手足、一癖あり気の鋭い眼つき、気味の悪い男であった。
「さあさあ太夫《たゆう》さん踊ったり踊ったり」
 手に持っていた竹の鞭で、窃《そっ》と鼬に障わりながら、錆のある美音で唄い出した。
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※[#歌記号、1−3−28]甲州出るときア涙が出たが
今じゃ甲州の風も厭
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 春陽が明々と地を照らしその地上では鳩の群が餌をあさりながら啼いていた。吉野桜が散ってきた。堂の横手芸人の背後《うしろ》に巨大な公孫樹《いちょうのき》が立っていたが、まだ新芽は出ていなかった。鼬の大きさは四尺もあろうか、それが後足で立ち上り、前足をブラブラ宙に泳がせ、その茶色の体の毛を春陽《はるひ》にキラキラ輝かせながら、唄声に連れて踊る態は、可愛くもあれば物凄くもあった。
 投銭放銭がひとしきり[#「ひとしきり」に傍点]降り、やがて芸当が一段落となった。その時目立って美しい娘が供の女中を一人連れ仲見世の
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