をくんな」
「成程」と云ったが、「爺つあん」は、変に皮肉に微笑した。「その交換なら止めようよ」
「え、厭だって? どうしてだい?」文は明かにびっくり[#「びっくり」に傍点]した。
「もうあの娘には用がねえからさ」
「おかしいな、どうしてだい?」
「俺の心が変ったからさ」
「だって、お前の子じゃあねえか」
「それに」と「爺つあん」は嘲笑うように「噂によるとあの紫錦は、高島以来お前の所から、行衛《ゆくえ》を眩ましたって云うじゃねえか」
「え?」と云ったが釜無しの文は、顔に狼狽を現わした。しかしすぐに声高く笑い「トン公の野郎め、喋舌ったな!」
「手許にもいねえその紫錦を、どうして俺らへ返してくれるな?」
「うん」と云ったが、行き詰ってしまった。
「だがな」と文は盛り返し「いかにも紫錦は手許にはいねえ。だが居場所は解っている。源公が後をつけ[#「つけ」に傍点]て行ったはずだ」
「ふうむ」
 と今度は「爺つあん」の方が、苦悶の色を現わした。
「だから紫錦は俺達のものさ」
「ほんとに居場所を知っているのか?」
「知っていなくてさ。大知りだ」
「どこに居るな? 云ってみるがいい」
「じゃ、よこせ、杉の手箱を!」
 隙さず文は手を出した。

13[#「13」は縦中横]

「その手箱なら手許にないよ」素気なく「爺つあん」は云い放った。
「嘘を云いねえ、ほんとにするものか」文は憎さげに笑ったが、「ではどうでも厭なのだな。ふん、厭なら止すがいい。その代り紫錦を連れて来て、もう今度は遠慮はいらねえ、何も彼もモミクチャにしてやるから」
 これを聞くと「爺つあん」の顔は、不安のために歪んだが、
「文! 紫錦にゃ罪はねえ! そんな事はよしてくれ!」
「じゃ、手箱を渡すがいい」
「ないのだないのだ! 手許には!」
「じゃ一体どこにあるのだ?」
「そいつあ云えねえ。勘弁してくれ」
「云えなけりゃそれまでよ。……そろそろ料理に取りかかるかな」
 文は部屋から出ようとした。
「オイ待ってくれ、釜無しの!」と「爺つあん」は周章《あわ》てて呼びとめた。
「何か用かな? え、「爺つあん」?」相手の苦痛を味わうかのように文はゆっくり[#「ゆっくり」に傍点]とこう云った。
「ほんとに紫錦をいじめる気か?」
「二枚の舌は使わねえよ」
「ほんとに居場所を知ってるのか? え、紫錦の居り場所を?」
「二枚の舌は使わねえよ
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