勤王派の浪士達が、様々の者に姿を窶《やつ》し、城下の諸方に入り込んでいたが、これが小屋者の味方となって、役人方に斬り込んだ。
 それに城下の町人達の中にも、味方する者が出来てきて、石礫を投げ出した。
 事態重大と見て取って、城下からは兵が出た。
 内乱と云えばそうも云え、市街戦と云えばそうも云える。思いも由《よ》らない大事件が、計らず勃発したのであった。
 城兵かそれとも浪士達か、鉄砲を打ち出したものがあった。
 と、火事が飛火した。女の悲鳴、子供の泣声、避難する人々の喚《わめ》き声が、山に湖面に反響した。

 この時一人の若者が、逃げ惑う人々を押し退けて、小屋の方へ走って行った。
 他でもない伊太郎で、恋人の安否を気遣って、家を抜け出して来たのであった。
 小屋は大半焼け落ちていて、焔の柱、煙の渦巻……その中で戦いが行なわれていた。
 役人の一人を殺し、血だらけの竹槍を振りかざしながら、荒れ廻っていた小屋掛があったが、伊太郎の姿に眼を付けると、
「野郎!」
 と叫んで飛び掛かって行った。余人ならぬ源太夫であった。
「紫錦さんは※[#感嘆符二つ、1−8−75] 紫錦さんは※[#感嘆符二つ、1−8−75]」
「何を吠《ほざ》く! 死《くたば》ってしまえ!」
 源太夫は伊太郎の襟上を掴むと、ズルズルと火の中へ引き込もうとした。
 と、焔に狂気しながら、馬が一頭走り出して来た。
「嬲殺しだ! 思い知れ!」
 伊太郎は馬の背へ括り付けられた。
「ヤッ」と叫ぶと源太夫は竹槍で馬の尻を突いた。
 馬は驀地《まっしぐら》に狂奔し、湖水の中へ飛び込んだ。
 ワッワッと云う鬨声《ときのこえ》。火事は四方へ飛火した。



 湖水は猛烈に荒れていた。火事は益々燃え拡がった。物凄くもあれば美しくもあった。
 紫錦は小舟に取り付いたまま浪の荒れるに委せていた。火事の光が水に映り四辺《あたり》が茫《ぼっ》と明るかった。
 その時何物か浪を分けて彼女の方へ来るものがあった。
「おや、馬だよ。馬が泳いで来る」
 いかにもそれは馬であった。
「おや。黒《あお》だよ、黒来い来い!」
 紫錦《しきん》は喜んで声を上げた。
 馬は馴染の黒であった。つまり彼女が芸当をする時、時々乗った馬であった。近付くままによく見ると誰やら馬の背にくくり[#「くくり」に傍点]付けられていた。それが恋人の伊太郎であると火
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