かかればこう旨くは行くものでねえ」
「ハイハイそれは申すまでもなく、今度の事は義兄《にい》さんのお蔭、仇や疎かには思いませぬ」
「何せ江戸はセチ辛くそれに人間は素ばしっこく[#「ばしっこく」に傍点]、俗に活馬の眼を抜くと云うが、どうしてどうして油断は出来ねえ」
「ハイハイ左様でございましょうとも」
「近い例が女泥棒だ」
「女泥棒と仰有《おっしゃ》いますと?」
「花魁《おいらん》泥棒と云ってもいい」
「花魁泥棒と申しますと?」
「なるほどお前は田舎の人、噂を聞かぬはもっともだが、近来江戸へ女装をしたそれも大籬《おおまがき》の花魁姿、夜な夜な出ては追剥《おいおどし》、武器と云えば銀の簪《かんざし》手裏剣にもなれば匕首《あいくち》にもなる。それに嚇されて大の男が見す見す剥がれると云うことだ」
「江戸は恐ろしゅうございますなあ」
「恐ろしいとも恐ろしいとも、だからなかなか容易なことでは、人が人を信じようとはしない。連れて大金の遣り取りなど、滅多にないものと思うがいい」
「いやもうごもっともでござります」
「この長庵が仲に入り、せっかく弁口を尽くしたればこそ、松葉屋半左も信用して、六十両渡したと云うものさな」
「お有難う存じました。もうもう嬉《うれ》しくて嬉しくて」
「そんなにお前嬉しいか?」
「嬉しいどころではござりませぬ」
「ふうむ、しかし、ナア十兵衛、嬉しい有難いと口だけで云っても、形がなけりゃ変なものさな」
ギロリと眼を剥きズッシリ[#「ズッシリ」は底本では「ヅッシリ」]と云う。
「へ、形と申しますと?」
「形は形、それだけよ、他にどうも云いようはねえ」
「へえ」と云ったが田舎者、十兵衛には謎が解けそうもない。
「実はな、お前とこの俺とは義理ある仲の兄弟だ、俺の妹がお前の女房、だからお前が江戸へ出て来て、俺の家で草鞋《わらじ》を脱ぎ、五日と云うもの食い仆し、それ駕籠賃だ、やれ印判料《はんしろ》だ、ちょくちょく使った小使銭、そんな物を返せとは云わねえ。何の俺が云うものか。とは云え楽屋をサラケ出せば、今長庵はご難場なのよ。それはお前にも解《わか》っているはずだ。さてそこでご相談、何とお前の持っている六十両の金の中から、三十両貸してくれめえか」
これを聞くと十兵衛は、颯とばかりに顔色を変えた。早くも見て取った村井長庵、「ハハア、こいつア貸しそうもないな」……こう思うと悪
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