し、一歩踏み出すと身長《せ》を縮《すく》め、相手の左胴を上斜めに、五枚目の肋《あばら》六枚目へかけ、鐘巻流での荒陣払い、ザックリのぶかく[#「のぶかく」に傍点]掬い切った。
 痣のある武士、ムーッと呻くと、ポタリと刀を落としたが、全身を弓のように蜒《うね》らせると、ヒョロヒョロヒョロヒョロと前へ出た。
 と、小一郎は、抑えた呼吸で、ヒョイと刀を手もとへ引いた。連れてドッタリ斃れた敵、ドクドクドクドクと流れる血、下は腐葉だ、滲み込んでしまった。瞬間に二人を討って取られ、浮き足立った一ツ橋家の武士達、思わずタジタジと引くところを、
「参るゾーッ」と声をかけ、ヌッと右足を踏み出したのは、追い迫る気勢を示したのである。胆を奪われた一ツ橋家の武士ども、刀を引くと一息に、元来た方へ逃げてしまった。
 追っかけると見せて身を翻えし、岩角まで飛び返った小一郎は一瞬耳を澄ましたが、「いるな」と呟くと一躍した。はたして七、八人そこにいた。真っ先に立ったは頬髯のある武士で、突然小一郎に飛び出され、ギョッとして一足引くところを、
「参るゾーッ」と例の大音、まず一喝くれて置いて、毬のように弾んで飛びかかったが、刀の柄頭《つかがしら》を胸へあて、肩を縮めたも一刹那、うむ[#「うむ」に傍点]と突き出した双手《もろて》突き、極《きま》った! まさしく! 敵の咽喉へ! だがその間に敵の一人、右手から颯《さっ》と切り込んで来た。何んの驚く、飛び返ると、狙いを外した敵の一人、自分の力に自分から押され、トントンと二、三歩前へ出た。背が低まって右の肩が、さも切りよげに小一郎の、眼の前三尺へ泳いで来た。そこをすかさず小一郎は、刀を上げると横撲り、軽くスッポリと切り付けた。
 右腕を肩から落とされて、悲鳴を上げるとキリキリキリと、独楽《こま》のように二、三度廻わったが、まずグンニャリと腰を砕き、すぐに横倒しに倒れてしまった。
 ここでも一式小一郎は瞬間に二人を斃したのである。二人斃された一ツ橋家の武士ども、太刀を構えたまま後退《あとじさ》り、次第次第に下がったが、岩角まで行くと背中を見せ、一|斉《せい》に岩蔭へ引いてしまった。
 左右の敵を左右に追い込み、一人となった小一郎はここで気息を抜くような、そんな不鍛練な武士ではない。ピッタリと大岩へ背をもた[#「もた」に傍点]せ、敵、眼前にあるがよう、グッと前方を睨んだが、にわかにシーンと体を沈め、ヒョイと踏み出したは右の足だ、膝から曲げて左足を敷き、曲げた膝頭の上二寸、そこへ刀の柄をあて、斜めに枝を張ったように、開いて太刀を付けてしまった。得意の構えだ、下段八双。棒の「掻《か》い手《で》」から編み出された鐘巻流では必勝の手。さてそれからユルユルと、頭《こうべ》を巡らすと右手を見た。が、はたして一ツ橋家の武士ども、岩角を巡って現われたが、以前に懲りたか遠廻わりをし、タラタラと正面数間の彼方へ、一列に並んで構え込んだ。
「ほほう来たな」と呟いたが、小一郎は頭を巡らすと、左手の方をゆるやかに見た。思った通りだ、岩角を巡り、一旦逃げた一ツ橋家の武士ども、同じく遠廻わりに廻わりながら、タラタラと正面数間の彼方へ、一列を作って立ち並んだ。
 つと進み出た武士がある、「一式氏」と声を掛けた。余人ではない。南部集五郎だ、年の頃は二十七、八、赧《あか》ら顔で大兵肥満、上身長《うわぜい》があって立派である。眉太く、眼は円《つぶら》、鼻梁長く、口は大きい。眉の間に二本の縦皺、これがあるために陰険に見える。「一式氏」ともう一度呼んだが、嘲笑《あざわら》うように云いつづけた。「悪縁でござるな、貴殿とは! 一人の河原者を争って、小梅田圃で切り合ったばかりか、どうやら今度は姿さえ知れない、美しい声の持ち主を、争わなければならないようで。……と云うとあるいは貴殿には、さようなものはとんと[#「とんと」に傍点]存ぜぬ。争いの種を阪東小篠、ないしは神秘な昆虫館……などと云われるかも知れないが、何んの何んの、そんなことはござらぬ。小梅田圃で聞いた声、あの美しさを耳にしては、どんな人間でも引き付けられますて。現に」と云うと集五郎は、好色漢らしい厭らしい、不快な笑いを浮かべたが「現に」ともう一度、繰り返した。「拙者においても引き付けられ、その声の主を目付けようと、ここまで出張って来たほどでござる。で、貴殿におかれても、やっぱり美しい声の主を、探しに来られたに相違ござらぬ。狂いましたかな。この眼力! ……だがそれにしてもこんな所で、貴殿にお逢いしようとは、いささか意外でございましたよ。そこでいよいよ悪縁と云う、この言葉がピンと響きますて。……が駄弁はこのくらい。……方々!」というと集五郎は、味方の勢《ぜい》を振り返った。

        十一

 味方を振り返った集五
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