かった。そうして心で考えた。「間を持たせて様子を見てやろう」そこで悠々と云い出した。「それはそれとして南部氏、よく水難から遁がれましたな」
「あああれ[#「あれ」に傍点]か」と集五郎は、鼻白んだ声音を作ったが、「いや全く三浦半島、木精《こだま》の森の大水には、さすがの拙者も参ってござるよ。一同谷間へ流されましてな、アブアブ水を飲みましたっけ。が、それそこは天祐というやつ、二、三人怪我はしましたが、命に別条はげえせん[#「げえせん」に傍点]でした」頼むところがあると見え、南部集五郎いつもに似気なく、寛々《ゆるゆる》としておちついて[#「おちついて」に傍点]いる。「貴殿こそあの際どうなされた?」
「さればさやっぱり天祐というやつ、水にも溺れずピンシャンと、ご覧の通り壮健で」
「めでたい」と集五郎はいよいよ揶揄的に、「その上貴殿におかれては、昆虫館へ参られたようで」
これにはちょっと小一郎は驚かざるを得なかった。「よくご存知だの、どうして知られた」
「永生の蝶を持っているからよ」
「よくご存知だの、どうして知られた?」
「女方術師、蝦蟇《がま》夫人、その本名は冷泉|華子《はなこ》、そのお方の透視《みとおし》で知れた」ここでウンと威張ったが、「その華子様仰せらく『江戸を中心に五十里の地点、そこに住んでいた永生の蝶、その一匹が江戸へ入った』――そこで探しにかかったところ、目付かりましたよ、貴殿の道場が。鐘巻流剣道指南、一式小一郎とありましたからな。ははあとすぐに感付いて、それからそれと探りを入れると、知れましたなあ、永生の蝶をたしかにお持ちということがな」
「そこでその蝶を奪おうと、再々拙者を襲われたのだな」
「御意」と集五郎はまた揶揄的に、「どうだな、柔順《すなお》に渡されては」
「さればさ」と云ったが小一郎は、わざとらしく首を引っ傾《かし》げた。
「余人へならば渡してもよい。が、貴殿へは渡されぬよ」
「ウフッ、なるほど、恋敵《こいがたき》だからで」
「その恋敵で思い出した。これ南部氏、集五郎氏、小梅田圃で耳にした、例の美しい声の主に、拙者面会致してな、恋の告白をしたところ、早速承知というところで、お手を下されたというものだ。うらやましかろうがな、いかがのもので」――こん畜生め! というような調子、そいつで小一郎はまくし立てた。
こいつを聞くと集五郎は「ううむ」と唸った
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