けたらしい。……これはこうしてはいられない。誰が止めようと森林へ分け入り、彼奴《きゃつ》らより先に声の主を、目付《めつ》け出さなければ心が済まぬ」
 彼らの後を追うように、サ――ッと小一郎は走り出したが、その時角屋の門口から、ヒョイと一人の娘が出た。
「あれ!」と叫んだが君江であった。「お父様大変でございます!」
「どうした?」と云いながら現われたのは、五十年輩の立派な人物で、英五郎と云って君江の父、この辺一帯の顔役で、髪は半白、下膨れの垂《た》れ頬《ほお》、柔和の容貌ではあるけれど、眼附きに敢為の気象が見える。
「小一郎様が森の中へ!」
「おお行かれたか! 困ったなあ」
「お父様! お父様! どうともして……」
「さあはたして助けられるかな!」
「ああ小一郎様のお身の上に、もしものことがあろうものなら……死んでしまいます! 死んでしまいます!」
「よし!」と英五郎は決心した。「ともかくも乾児《こぶん》を猟り集め、森中手を分けて探してみよう! ……しかし名に負う木精《こだま》の森だ、入り込んだが最後出られない魔所! 目付《めつ》かってくれればいいがなあ」
 木精《こだま》の森の底の辺に、一つの岩が聳えていた。裾から泉が湧き出している。
 側で話している二人の男女があった。一人は※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ろう》たけた[#「たけた」に傍点]二十歳《はたち》ばかりの美女で、一人は片足の醜男《ぶおとこ》である。
「先生には今日もご不機嫌で?」こう訊いたのは片足の醜男。
「吉や、困ったよ、この頃は、いつもお父様には不機嫌でねえ」こう云ったのは美女である。
「それというのも大切な雄蝶を、お盗まれになってからでございましょうね」片足の男の名は吉次《きちじ》であり、そうして美女の名は桔梗《ききょう》様であり、その関係は主従らしい。

        七

 桔梗様の年は二十歳ぐらいで、痩せぎすでスンナリと身長《せい》が高い、名に相似わしい桔梗色の振り袖、高々と結んだ緞子《どんす》の帯、だが髪だけは無造作にも、頸《うなじ》で束ねて垂らしている。もっともそのため神々しく見える。いや神々しいのは髪ばかりではない。顔も随分神々しい。特に神々しいのは眼付きである。霊性の窓! 全くそうだ! そう云いたいような眼付きである。
 山住みの娘などとは思われない。と
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