。岡八、屋敷へ忍び込んだのである。

 その翌日のことである。
「兄貴家かえ」とやって来たのは、他ならぬ岡引の半九郎であった。
「昨日出たきり帰らないよ」
 こういったのは岡八の女房、鳥渡仇めいた女である。
「兄貴としちゃァ珍しいね」
「私も心配しているのさ」
「で、矢っぱりご用でかい?」
「半九郎の奴に鼻あかせてやる、こういいながら出て行ったよ」
 すると半九郎笑い出してしまった。
「アッハハハこいつァ面白え。少し兄貴も若|耄碌《もうろく》をしたな」
「なぜさ?」とお吉《よし》――岡八の女房――怒ったようにきき返した。
「ナーニこっちの話でさ。……あそれじゃあ姐御、また来やしょう」
 往来へ飛出したが吹出してしまった。
「あの物語りの謎解きをしようと、探ぐりに出たとはどうかしているよ。岡八の兄貴もヤキが廻ったなあ。そんな年でもない癖に」
 その翌日のことである、またも半九郎尋ねて来た。
「姐御、兄貴はお家かね?」
「それがさ、半さん、どうしたんだろう、いまだに帰って来ないんだよ」
 お吉の顔に憂色がある。
「へえ」といったが半九郎も、眉の間へ皺を寄せた。
「おかしいなあ、何んてえことだ」
「こんなことめった[#「めった」に傍点]にないんだがねえ」
 お吉いよいよ心配そうである。
「そうだ実際お上のご用で、遠ッ走りをする時の外は、決して泊って来ねえのが、岡八兄貴のいい所でしたね。……ふうむ、こいつァ変梃だぞ[#「変梃だぞ」は底本では「変挺だぞ」]」腕をこまぬいたものである。

     八

 これから半九郎の活動になる。
 道をあるきながら考え込んでしまった。
「俺がああいう話をした。それで兄貴が飛び出した。そうして二晩も帰って来ない。といって真面目なあの兄貴、岡場所にひっかかる筈もない。遠ッ走りをしたのなら、あの仲のいいお吉姐御にあらかじめ話して行く筈だ。ふうん、ふうん、解らねえなあ」
 どうにも見当がつかなかった。
「何んだか[#「「何んだか」は底本では「何んだか」]俺には厭な気がするよ。変事でもありゃァしないかな? 兄貴のことだ、大丈夫だろうが名人の手からだって水は洩れる。――どだい俺等の話を聞いて、飛出して行ったというやつが、その名人の水洩れだからなあ。ふうん、ふうんわからねえなあ」
 矢張りどうにも見当がつかない。
「ええと筋立てて考えてみよう。……兎に角俺等の物語りの、謎解きをしようと出かけたというからこいつはこのまま信じるとして、真っ先にどこへ行くだろう? ……さあ真っ先にどこへゆくだろう?」
 当然なことが思いついた。
「お縫様屋敷へ行くというものさ」
 どうしたものか吹き出してしまった。
「行ったって何があるものか。大きな空家があるばかりさ」
 で、こいつは投げ出すことにした。
「さてこの外にはどこへ行くな?」
 雲を掴むようでわからない。
「こまったな、本当にこまった。……だが……」
 というと考え込んだ。
「だが矢っぱり筋道をたぐろう。お縫様屋敷へ行ってみよう。何か手がかりが目つかるかもしれねえ」
 半九郎スタスタあるき出した。
 上野を廻ると上根岸、お縫様屋敷の前まで来た。
 冬陽が黒塀にあたっている。あれにあれた屋敷である。屋根棟に烏《からす》がとまっている。生物といえばそれだけである。カラッと四方吹きさらしである。一軒の家も附近にはない。
「矢っ張り空家さ。何があるものか」
 呟いたが半九郎念のためだ、グルリと屋敷を巡り出した。
「おっ」
 と俄に立ちどまったのは[#「立ちどまったのは」は底本では「立ちとまったのは」]、雑草の中に見覚えのある、岡八の銀口の太煙管が一本ころがっていたからであった。
 拾い上げたがじっと見た。
「別に変わったこともねえ。ただこいつで解ることは、矢っ張り兄貴がお縫様屋敷へ、さぐりに来たということだけさ。いや待てよ!」
 とギョッとした。
「あッ、いけねえ、こんな筈ァねえ!」音に出して叫んだものである。「あのおちついた岡八兄貴、たとえどんなにあわてようと、煙管を落として行く筈はねえ。……にもかかわらず落ちている……ということであってみれば、大事件があったと見なければならねえ。……うん、ここにほごがある。……うん枯草が敷かれている。……休んで一服したんだな? ……さあてそれから、さあてそれから?」
 半九郎あたりを見廻した。
 眼についたは塀の足跡! いや雪駄の跡である。ヒョイと眼を上げると忍び返しが、二三本外側へ曲っている。
「ははあ兄貴、忍び込んだな」
 眼をつむって考えた。
「お縫様屋敷へやって来た。やって来たからには念のため、内を一応は調べるだろう。まあまあこれは尋常だ。が、煙管が落ちている。たしかに休んだ跡がある。……とすると煙管の落ちたのさえ、感づかない程に熱心
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