った。
(では)
 と正成は決心し、城の落ちる日を心待ちに待った。
 その間に正成は士卒を督し、城中に大なる穴を掘らせ、堀の中にて討たれた死人の中、二三十人ばかりを持ち来たしその穴の中へ埋没《まいぼつ》させ、その上に炭《すみ》薪《たきぎ》を積み重ねさせた。
 と、幸いにもその翌々日、風雨はげしく荒れた。
(時こそ来たれり)
 と正成は思い、この赤坂城にそれ以前から、お籠《こも》りあそばされた護良親王様《もりながしんのうさま》を、まず第一に落し参らせ、つづいて将卒を落しやり、火かくる[#「火かくる」に傍点]者一人をとどめ置き、舎弟の七郎|正季《まさすえ》や、和田正遠等を従えて、自身も蓑笠《みのかさ》に身をやつし、ひそかに城を忍《しの》び出た。
 それとも知らない寄手の勢は、陣屋陣屋の戸をとざし、この吹降りには城兵といえども、よもや夜討などかけまいと、安心しきって眠っていた。
 と、正成たちは忍びやかに、寄手の陣屋の前を通り、千早の方へ潜行した。
「誰だ!」
 と突然声がかかった。
 寄手の大将長崎|四郎左衛門尉《しろうざえもんのじょう》、この人の陣屋の厩《うまや》の前に、さしかかった時であった。
 流石《さすが》に正成もハッとしたが、
「これは大将御内の者でござるが、道に踏み迷うてかくの通り」
 と、早速に云い放して足を早めた。
「怪しい曲者」
「射て、討ちとれ!」
 声に応じて弦鳴《つるな》りがし、正成の左臂に矢があたった。
(南無三宝)
 と正成は思った。
 が、不思議にも矢が立っていない。
(はてな?)
 と思いながら数町走り、そこで初めて臂を調べてみた。
 日頃信じて読誦《どくじゅ》し奉る、観音経を入れた守袋に、矢の立った痕《あと》があらわれていた。
(神仏の加護)
 と正成は思った。
(神の界に属しまつる宮方に、お味方仕るこの正成に、神仏の加護あるは必定か、それにいたしても忝《かたじ》けなし)
 こう思わざるを得なかった。
 二十町あまりも落ちのびた時、今まで籠城していた赤坂城に――寄手の関東勢二十余万人を、釣塀《つりべい》、投大木、熱湯かけ[#「かけ」に傍点]で、防ぎ苦しめた赤坂城に、焔《ほのお》が高く上ったのが見えた。
(穴の中の死骸の焼けたのを見て、正成自害したと思うであろうよ)

       二

 一里あまりも落ちのびた時、行手に数人の人影が見え
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