《やまがつ》などに命を含め、山々谷々浦々に、あのように篝を焚かせたのじゃよ。……定仏定仏」と湯浅定仏を呼んだ。
「わしは赤坂を落ちる時にも、必ず後日奪回いたすと、こう決心して落ちたのじゃよ」
「は」
 と云ったが、湯浅定仏は、何んとない苦笑を頬に浮かべた。
「まこと君にはその後間もなく、赤坂城を復されましてござりまする」
「わしが火をかけて脱け出した城を、其方よく修理してくれたのう」
「…………」
 定仏は黙ってまた苦笑した。
 それに相違ないからであった。
 正成が赤坂城を捨てて出た後へ、六波羅の命で入城し、城を修理して籠もったのは、たしかに湯浅定仏だったのであった。
 が、その定仏は正成に攻められ、他愛なく城は乗っ取られ、本人はこのように降将として、正成に仕えているのであった。
 苦笑せざるを得ないではないか。
「過去を探り現在を識り、未来を察して世を渡らば、人間間違いはないものじゃ」こう正成は訓《おし》えるように云った。
「武人にとっては合戦こそは、立派な世渡りの術だからのう。未来を察してかからねばならぬよ。……明日天王寺へ帰ったなら、何を置いてもお寺へ参り、未来記を拝見するつもりじゃ」
 この夜も山々谷々に、そうして津々浦々一円に、正成の焚かせている篝火が、妖しく凄く燃えていた。

       五

 正成の予言は的中し、翌朝公綱は陣を撤し、京都をさして帰って行き、代《かわ》って正成が天王寺へ這入った。
 元弘二年八月三日、この日はよく晴れた秋日和《あきびより》で、松林では鳩が啼き、天王寺の塔の甍《いらか》には、陽が銀箔のようにあたっていた。
 白鞍《しろくら》置いた馬、白覆輪《しろふくりん》の太刀、それに鎧一領を副《そ》え、徒者数人に曳き持たせ、正成は天王寺へ参詣し、大般若経《だいはんにゃきょう》転読《てんどく》の布施として献じ、髯の白い老いた長老に会い、正成不肖の身をもって、一大事思い立ちたる事由を審《つぶ》さに述べたるのち、虔《つつ》ましく居ずまいを正し、「承わりますれば、上宮太子|厩戸皇子《うまやどのおうじ》様、百王治天の安危を勘《かんが》え、日本一州の未来記を認《したた》め、この寺院に秘蔵あそばさるるとか。もし拝見苦しからずば、現代に関わる箇所だけなりとも、是非とも拝見仕りたく、如何のものにござりましょうや?」
 すると長老は深く頷いて、
「万代
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