などに、人々が集まって丘の方を見ていた。
 その人達が注意したのであった。
「大丈夫だから先へ行こうよ」
 この郷の長であると共に、この郷の神殿の祭司である、白河戸将監《しらかわどしょうげん》の一人娘の、小枝《さえだ》というのがこの乙女であったが、そう云うと侍女達を従えて、曠野の方へ漫歩をつづけた。
 彼女達は彼女達が信じている、白河戸郷の守護神とも云うべき、神殿のご本尊の「唯一なる神」へ、野の花を捧げようと考えて、野の花を摘みに来たのであった。
 小川が一筋流れていて、燕子花《かきつばた》の花が咲いていた。と、小枝は手を延ばしたが、長目に燕子花の花を折った。と、小枝は唄い出した。
[#ここから3字下げ]
※[#歌記号、1−3−28]メッカの礼拝堂《ハラーム》に
信者らの祈る時、
帳《とばり》の奥におわす
御像《みぞう》の脚に捧げまつらん
日の本の燕子花を。
[#ここで字下げ終わり]
「みんなも燕子花を取るがよいよ」
 ――すると侍女達も手を延ばして、各自《めいめい》燕子花を折った。
 一行は楽しそうに歩いて行く。
 灌木の裾に白百合の花が、微風に花冠を揺すりながら、幾千本となく咲いていた。
 と、小枝は手を延ばして、その一本を折り取ったが、
[#ここから3字下げ]
※[#歌記号、1−3−28]|白楊《はこやなぎ》の林に豹が隠れ、
信者らが含嗽《うがい》して
アラの御神《みかみ》を讃え奉《まつ》る時、
回教|弘通者《ぐつうしゃ》のオメル様の墳塋《はか》へ、
ささげまつらん白百合の花を。
[#ここで字下げ終わり]
 こう歌って侍女を返り見た。
「さあお前達も百合の花をお取り」
 一行は先へ進んで行く。
 一所に崖が出来ていて、小さな滝が落ちていた。岩燕が滝壺を巡って啼き、黄色い苔の花が咲いていた。その苔の花にまじりながら、常夏《とこなつ》の花が咲き乱れていた。
[#ここから3字下げ]
※[#歌記号、1−3−28]|果物《くだもの》の木に匂いあり
御神水《ミム》と黒石《アラオ》とに、
虹の光のまとう時
馬合点《マホメット》様の死せざる魂に
いざや捧げまつろうよ
常夏の花の束を。
[#ここで字下げ終わり]
 小枝は常夏の花を見ると、こう朗らかに歌いながら、手を延ばして一本の花を折った。と、延ばした右の手の袖が、肘の辺りまで捲くれ上って、白い脂肪《あぶら》づいた丸々とした腕
前へ 次へ
全100ページ中46ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング