がされているのではござりますまいか?」
「もしそうなら面白いの」
「いえ勿体なく存じます」
「お前ひとつ探してはどうか」
「は。さようで。探し出しましょうか」
「好事家《こうずか》で名高いお前のことだ。探し出したらはなすまいよ」
「いえ、ご連枝様に差し上げます」
「これこれ何だ雲州の爺《おやじ》、いちいち極東のカリフ様だの、ご連枝様だのと呼ばないがよい。わし[#「わし」に傍点]とお前とは話相手ではないか。わしの名を呼べ、慶正《よしまさ》と呼べ」
「ハッ、ハッ、ハッ、呼びましょうかな」
 聞くともなしに聞いていた宮川茅野雄はこの言葉を聞くと、
「ははあ」と、呟《つぶや》かざるを得なかった。二人の身分がわかったからである。
 極東のカリフ様と呼ばれたり、ご連枝様と呼ばれたりする武士は、奇矯と大胆と仁慈と正義と、平民的とで名を知られている、一ツ橋大納言の弟にあたられる、徳川慶正卿その人であり、雲州の爺と呼ばれている武士は、出雲松江侯の傍流の隠居で、蝦夷《えぞ》や韃靼《だったん》や天竺《てんじく》や高砂《たかさご》や、シャムロの国へまで手を延ばして、珍器名什を蒐集することによって、これまた世人に謳われている松平|碩寿翁《せきじゅおう》その人なのであった。
(立派な人物が二人まで揃って、面白い話を話して行く。高価な品物とはどんなものだろう? 両眼とは何の両眼なのであろう?)
 茅野雄は好奇心に心を躍らせて、尚も二人をつけ[#「つけ」に傍点]て行った。
(それにしても極東のカリフ様とは、一体どういう意味なのであろう?)
 これが茅野雄には疑問であった。
 ただし長崎におった頃、茅野雄は蘭人の口を通して、カリフという言葉と言葉の意味とを、一再ならず耳にはした。マホメットという人物を宗祖として、近東|亜剌比亜《アラビア》の沙漠の国へ興った、非常に武断的の宗教の、教主であるということであった。
 で、これはこれでよかった。
 しかし極東の教主《カリフ》という、極東の意味が解らなかった。
(日本のことを極東というと、蘭人からかつて聞いたことはある。では極東の教主というのは、日本におけるマホメット教の、教主というような意味なのであろうか? ではいつの間にか日本の国へもマホメット教が渡来したのであろうか?)
 そう思うより仕方がなかった。
(それにしても一ツ橋慶正卿がそのカリフとは驚くべき
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