学の学究であったが、柳生流でも名手であった。で、背後から名の知れない武士に、俄然と切ってかかられた時にも、身を翻えして、刃を遁れた。
「誰だ!」と、まずもって声を掛けた。
「瞞《だま》し討ちとは卑怯な奴だ! 怨みがあるなら尋常に宣《なの》って、真っ正面からかかって来い! 身分を云え! 名を宣れ! ……拙者の名は宮川茅野雄という、他人に怨みを受けるような、曲事《きょくじ》をしたような覚えはない! 思うにおおかた人違いであろう。……それとも、拙者に怨みがあるか※[#疑問符感嘆符、1−8−77]」
 こう云いながら宮川茅野雄は、刀の鍔際をしっかりと抑えて、五寸あまりも鞘ぐるみ抜いて、右手で柄もとを握りしめて、身を斜めにして右足を出して、いつでも抜き打ちの出来るように、居合腰をして首を延ばしたが、じっと前の方を隙《す》かして見た。
 漲っている蒼白い月の光を浴びて、宮川茅野雄から五間あまりの彼方《かなた》に、肥えた長身の三十五六歳の武士が、抜き身をダラリと引っ下げた姿で、こっちを見ながら立っていたが、髪は大束《おおたぶさ》の総髪であった。
 と、その武士は落ち着き払った態度で、ゆるゆると茅野雄へ近寄って来たが、
「宮川茅野雄殿と仰せられるか、はじめてお名前を承《うけたま》わってござる。拙者は醍醐《だいご》弦四郎と申して、身の上の儀はまずまず浪人、ただしいくら[#「いくら」に傍点]かは違いますがな。……いかにも貴殿の仰せられる通りに、拙者、貴殿に怨みはござらぬ。と云え貴殿の仰せられるように、人違いで切ってかかったのでもござらぬ。思うところあって切り付けたのでござる。と云うのは貴殿の運命と、――巫女から買い取られた運命と、拙者の運命とが似ているからでござる」
 こう云うとクックッと含み笑いをしたが、
「実は拙者も同じ巫女から、運命を買ったのでございますよ」
「ほほう」とそれを聞くと宮川茅野雄は、化《ば》かされたような気持ちがしたが、
「貴殿の買われた運命と、拙者の買い取った運命とが、似ているというようなそのようなことが、殺生沙汰を招きましょうかな?」
「運命を占った女巫女の、素性をご存知ない貴殿としては、そういう疑念を挿まれるのは、当然至極と存ぜられますよ。またあの巫女の占ったところの、『何か』得られるというその『何か』の、何であるかをご存知なければ、そういう疑念も挿まれましょ
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