ら、偉い歌人が憐れがって、名歌を詠まれるかもしれませぬな。……が、そうなるとこの八ツ橋の里に、二つの伝説が出来まして、迷惑のことになりましょう。……お前様のお父上がたった今し方私に話して下された、羽田玄喜の妻の伝説と、そうしてお前様の伝説とがな。……で、私は申しますよ。美しい物語にあくがれるのは、若いお前様の勝手ではあるが、その伝説の真似をして、自分自身に行うことは、この上もないつまらないことだと。……それよりもこの里に残されている、羽田玄喜の妻の伝説を、旨く利用なさいまし。……つまり源次郎という若いお方と、喜之介という若いお方とへ、このようにお前様からおっしゃるのです『向うの河岸に海苔《のり》があります。私をいとしく思われるならば、橋を渡らずに川を泳いで、向う岸まで渡って行って、海苔《のり》をとって来て下さいまし。とって来たお方に靡きましょう』と。……もちろん私は源次郎というお方も、喜之介というお方も存じません。しかしお前様のお話によれば、いずれも立派な若旦那なので、力業《ちからわざ》だの危険な業だのには、大方不慣れでございましょう。で、漁師でさえ泳ぎかねるような、瀬の早い八筋の川を泳いで、海苔《のり》をとって来ようとはなされますまい。……さて、ご馳走になりました。そろそろ出かけることにいたしましょう。……」
後年左衛門は人にいったそうです。――
「そうだよ、お蘭という娘の顔には、死相が現れていたのだよ。これはいけないと思ったのでだんだん話しをして行くうちに、いろいろの古歌を知っていて、性質がひどく憧憬的だ。二人の男に恋されている。場所はといえば八橋といって、真間の継橋とよく似ている。ははあそれでは手児奈を気取って、二人の男へ義理を立てて、自分は美しく入水して死のう――恋を恋する気持といおうか、伝説を真似る心持といおうか……そういう心持でいるらしい。――と、こんなように思ったので、ああいう手段を教えてやったんだね。……お蘭という娘は実行したそうだよ。と、どうだろう源次郎という男も、喜之介という男も私の予想どおり、川を泳いでは行かなかったそうだ。その結果お蘭という娘は、柔弱の男に愛相をつかし、真面目な田園の逞しい男と、結婚したということだよ」
底本:「国枝史郎伝奇短篇小説集成 第二巻 昭和三年〜十二年」作品社
2006(平成18)年12月25日第1刷発行
底本の親本:「読切小説名作帖」文松堂
1942(昭和17)年1月
初出:「サンデー毎日」
1929(昭和4)年1月1日
入力:H.YAM
校正:門田裕志
2008年5月14日作成
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