分で、肝心の役より蔵前の札差しなどと、吉原へ行って花魁《おいらん》を買ったり、蜀山人や宿屋飯盛などと、戯作や詩文の話をしたりして、暮らす日の方が多いのだ。ところで丸田屋は俳人なので、かなり以前から懇意にしていて、我輩が名古屋へ来るごとに、立ち寄っては話し合っていた。で今年もやって来たのさ。そうして大野の潮湯治場の、丸田屋の夏別荘へも一再ならず、客としてこれまでも来たことがある。で、今年もやって来たのさ。
「私などよりも館林様こそ、どうして丸田屋の夏別荘などへ、おこしなされたのでございますか!」我輩はこう云って逆襲してやった。
「俺は部屋住みで自由の身分だ。それに天下に知己《しりあい》がある。どこの何者を訪ねようと、少しも不思議はないではないか」
「これは御意《ぎょい》にございます」我輩は心から頷《うなず》いて云った。
 と云うのはこの人は将軍家の遠縁、元の老中の筆頭の、松平右近将監武元卿の庶子で、英俊で豪邁な人物で、隠れた社会政策家で、博徒や無頼漢や盗賊の群をさえ、手下にして使用するかと思うと、御三家や御三卿のご連枝方と、膝組みで話をすることだって出来る――そういう人物であるのだからな。
「これは御意にございます」――で、そう云ったというものさ。
「十二神《オチフルイ》!」
 と、すると館林様は、不意に鋭い口調をもって、こう我輩を呼びかけたものだ。
「この席にいる客人を、お前、何んとか思わないかな?」
「はい、いいえ、別に何んとも。……」
 云い云い我輩は座を見廻した。善美を尽くした丸田屋の、夏別荘の大広間には、二十人あまりの客があって、出された酒肴を前にして、湧くような快談に耽っていたが、その客人はいずれも男で、女は雑っていなかった。
(はい、いいえ、別に何んとも。……)事実我輩はこういうように答えた。がしかしこれは嘘なのだ。何んとも思わないどころではない、いずれもとんでもない客ばかりなのだからな。身分と姓名とを挙げて見よう。
 生駒家の浪人永井忠則(今は大須の講釈師)、最上家の浪人富田資高(今は熱田の寺子屋の師匠)、丹羽家の旧家臣久松氏音(今は片端のにわか神官)、那須家の浪人加藤近栄(今は鷹匠町の町道場の主)、土方家の浪人品川長康(今は虚無僧として一所不住)、大久保家の旧家臣高橋成信(今は七ツ寺の大道売卜者)、青山家の浪人西郷忠英(今は寺町通りの往生寺の寄人)、桑山家の浪人夏目主水(今は大道のチョンガレ坊主)、久世家の旧家臣鳥井克己(今は大須の香具師《やし》の取り締まり)、石川家の浪人佐野重治(今は瑞穂町の祭文かたり)、小笠原家の旧家臣喜多見正純(今は博徒の用心棒)、植村家の浪人徳永隣之介(今は魚ノ棚の料理人)、堀家の旧家臣稲葉甚五郎(今は八事の隠亡の頭《かしら》)、小堀家の浪人笹山元次(今は瀬戸の陶器絵師)、屋代家の旧家臣山口利久(今は常滑《とこなめ》の瓦焼き)、里見家の旧家臣里見一刀(今は桑名の網元の水夫《かこ》)、吉田家の浪人仙石定邦(今は車町の私娼《じごく》宿の主人《あるじ》)

        三

 ざっとこういう輩《やから》なのだ。取り潰された大名達の遺臣、つまり浪人ばかりなのだ。
(昨夜は名古屋の富豪連を招いて、その席で館林様は話をされた。訓諭と懇願とを雑えたような話を。しかるに今夜は浪人連を招いて、慰撫と激励の話をされた。仲介役が丸田屋の主人だ。……警戒しないでいられるものか)我輩は心からそう思ったよ。
「十二神《オチフルイ》!」と館林様がまた言われた。「お前浪人をどう思うな?」
「は、どう思うとおっしゃいますと?」
「社会的に見てどう思うか?」
「…………」
「浪人とは失業知識階級の謂《いい》だ。……社会の中間に浮動している群だ」
「…………」
「一番危険な連中だ」
「…………」
「時代の宗教、時代の道徳、幕府の強圧や迫害に屈せず、食って行けないという事実の下に、浪人という浪人の、あるいは潜行的にあるいは激発的に、押し進んで行く目標といえば、政治的革命という一点なのだ。由井正雪の謀反事件も、天草島原の一揆事件も、その指導者は浪人群だった。別木、林戸の騒擾事件から、農村に起こった百姓一揆の、指導者もおおかた浪人者なのだ。そういう危険の浪人者が、今非常に多くなっている。将来益※[#二の字点、1−2−22]多くなるだろう。何故というに大名取り潰し政策を、幕府が固執しているからだ。徳川が天下を取って以来、二百年近くになっているが除封減禄された大名の数、三百をもって数えることが出来る。石高にして二千万石、一万石の大名から、二百人の浪人は出る。と、これまでに四十万人の、浪人が出ていることになる。さてこれらの浪人に対して、幕府はどういう処置をとっているか?『他所ヨリ牢人者(浪人者の事)参リ所有度由申候ハバ吟味ノ上、御断申可シ』――追っ払ってしまえと達《たっし》を出している。『近年村々ヘ浪人体ノモノ参、合力ヲ乞、ネだりヶ間敷儀申モノ数多有之候間、右体ノモノ召捕候ハバ、直ニ訴可』――合力もするな、捕えて突き出せ、こう残酷に命じているのだ。こう残酷にあつかわれては、浪人といえどもたまらない。とはいえどうしても生きて行かなければならない。そこでとうとう対抗上『近来浪人体ノ者所々ヘ大勢|罷越《まかりこし》、村方ノ手ニ難及《およびがたく》、会難儀候段相聞候』というように、多勢が一緒にかたまって、押し借りをするようになってしまい、『近年諸国在々浪人体ノモノ多ク徘徊イタシ、頭分、師匠分抔ト唱、廻場、留場ト号シ、銘々、私ニ持場ヲ定、百姓家ヘ参リ合力ヲ乞』というように、合力を乞う持ち場をさえ、定めるようになってしまい、甚しいのに至っては『近来浪人共、槍鉄砲等ヲ大勢シテ持歩、在々所々ニ於テ及狼藉』――と云うようになってしまった。……槍鉄砲を持ち歩くに至っては、内乱の萠《きざし》と云ってもよい。が、それはそれほどまでに、失業知識階級の――浪人者の心境が、荒《すさ》んで来ているという証拠であり、それほどまでに浪人者の、生活が苦しくなって来た。――と云うことの証拠でもある。……ではそういう浪人者の群を、少なくとも安全に生活させてやる、そういう政策を立つべきではないか。どうだな十二神《オチフルイ》、そうは思わぬかな?」
 云われて我輩は一言もなかった。それに相違ないのであるから。我輩は閉口して黙ってしまった。
「十二神《オチフルイ》!」と館林様は叱るように云われた。「お前、このわし[#「わし」に傍点]を尾行《つ》けて来たのだろう。江戸から尾張へ! つけて[#「つけて」に傍点]来たのだろう」
「…………」
「邪魔をするな、このわし[#「わし」に傍点]の仕事を!」
「…………」
「お前も掻《か》い撫《な》での与力ではなく、物の解った人間の筈だ。邪魔をするな、わし[#「わし」に傍点]の仕事を!」

 よい時刻だと思ったので、館林様に挨拶をして、酒宴の席を脱け出して、我輩は庭の方へ忍んで行った。と、木蔭に人影が見えた。我輩は故意《わざ》と咳をしてやった。と、一つの人影が、周章《あわ》てて向こうへ逃げて行った。後に残ったもう一つの影が、家の中へ走って行こうとするのへ、「珠太郎殿」と声をかけて、我輩はそっちへ寄って行った。
「お小夜殿と相談がまとまりましたかな」
 珠太郎は黙ってうな[#「うな」に傍点]垂れてしまった。
「浜の方へでも行って見ましょう」
 で、我輩は先に立って歩いた。
 もう話してやってもいいだろう――こう我輩は思ったので、それから思い切ってぶちまけ[#「ぶちまけ」に傍点]てやった。
「そうです私がこの土地へ来た、最初の日のことでありましたよ、あなたのとこの夏別荘へ、まだお訪ねをしない前でした。潮湯治の様子を見ようと思って、浜へ行って茶店へ立ち寄ったものです。すると一人の美しい娘が、潮湯治客の金や持ち物を、巧みに抜き取るじゃアありませんか。ひどい娘だと睨んでおりますとね、一人の若者がその娘を、見初めてしまったじゃアありませんか。これは困ったと思いましたよ。と云うのは不幸なその若者を、元から私が知っていたからです。……他でもありませんあなたなのです。そうして娘はお小夜なのです」
 珠太郎がにわかに興奮して、恐ろしい勢いで食ってかかるのを、我輩は笑いながら黙殺してやった。
(もうこれ以上云うことはない。これからはただ見せるまでだ)つまりこんなように思ったからだ。
 浜へ出ると風が吹きつけて来た。わけても強い風であって、波頭が次々に無数に砕けて、見渡す限り月の海上は、白衣の亡者が踊っているようであった。
 我々は北の方へ歩いて行った。そうして岩の岬を越えた。珠太郎は恐ろしく不機嫌でもあれば、どうしてこんな変な方角へ、連れて来られたのか不可解だと、そう思っているようなところがあった。が、我輩には考えがあるので、説明してもやらなかった。
 海の方へ少し突き出して、その裾が窪んで穴をなしている、そういう岩があったので、その穴の入り口へ腰を下ろし、我々はしばらく休むことにした。と云っても我輩から云う時は、ここで休むということが、予定の行動になっていたのだが。……
 真夏ではあったが夜は涼しく、それに馨《かぐ》わしい磯の香はするし、この辺に多く住んでいる鵜が、なまめかしく啼いたり羽搏きをしたりして、何んとも云えない風情であった。
 が、我輩は待っていた。早く彼女が来ればよいと。すると松林の方角から、砂を踏む音を幽《かす》かに立てて、こっちへ走って来る足音がした。足音は岩の辺で止まったが、またすぐに聞こえて来た。どうやら岩の上へ上るらしい。ややあって衣摺《きぬず》れの音がした。
「珠太郎殿、海の方をご覧」
 放心したように考え込んでいる、珠太郎へ我輩は小声で云った。
「素晴らしいものが見られますよ」
 不承不承に珠太郎は、海の方へ眼をやった。もちろん我輩も海の方を見た。と、その二人の視界の中へ、真っ白の物が躍り込んで来た。我々の頭上の岩の頂から、素裸体《すっぱだか》のお小夜が海へ向かって飛び込みをやった形なのさ。
 水音! 飛沫《しぶき》! 水底へ消えた彼女! が、すぐに浮き出して、泳いで行く島田髷と肩と腕!
「あッ、お小夜だ! お小夜だお小夜だ!」
「さよう、お小夜です。大変なお小夜です。……帰って来るまで見ていましょう」
 かなりの時間が経った時、彼女、お小夜は帰って来た。ヌックリと海から陸へ上がり、ノシノシと岩へ上がって行こうとした。
「オイ勘介! 女勘介!」
 隠れ場所から身を現わしながら、こう我輩は声をかけてやった。
「ここにお前の情夫がいるんだ。何んて馬鹿な真似をやらかすんだ。……素裸体《すっぱだか》とは呆れたなあ。……珠太郎殿、お解りですか、あいつは女ではありませんよ。……オイ――勘介、女勘介、他の連中にも云ってやれ、まごまごみよし屋の寮なんかにいるなと! ……」

 同じ夜我輩は館林様を連れ出し、月夜を賞しながら彷徨《さまよ》った。
「誰かが先駆者にならなければいけない」
 館林様は我輩に説いた。
「貝を吹き旗差し物をかざし、進む者がなければいけないのだ。でなければいつまでも悪い浮世は悪い浮世のままで居縮《いすく》んでしまう」
「そこであなた様が先駆者となって、事を起こそうとなさいますので?」
「うん」と館林様は仰せられた。「まずそう云ってもいいだろう」

        四

「結構なことではございますが。……」我輩は故意《わざ》と皮肉に云った。「先に立って進むはよろしゅうございますが、さて背後《うしろ》を振り返って見て、従《つ》いて来る者のないのを見た時、寂しさ一層でございましょう」
「馬鹿な」と館林様は一笑した。「裏切られたらと云うのだろうが、わし[#「わし」に傍点]の部下にはそんな者はいない。裏切り者など一人もいない」
 振り返って見ると灯火の光が、まだ丸田屋の夏別荘の、大広間から射していた。浪人達は飲んでいるのである。一晩飲み明かすに相違ない。
 私達は丘を下りた。それから街道を左へ曲がり、さらに左へ空地を横切った。
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