た。
「お小夜殿と相談がまとまりましたかな」
珠太郎は黙ってうな[#「うな」に傍点]垂れてしまった。
「浜の方へでも行って見ましょう」
で、我輩は先に立って歩いた。
もう話してやってもいいだろう――こう我輩は思ったので、それから思い切ってぶちまけ[#「ぶちまけ」に傍点]てやった。
「そうです私がこの土地へ来た、最初の日のことでありましたよ、あなたのとこの夏別荘へ、まだお訪ねをしない前でした。潮湯治の様子を見ようと思って、浜へ行って茶店へ立ち寄ったものです。すると一人の美しい娘が、潮湯治客の金や持ち物を、巧みに抜き取るじゃアありませんか。ひどい娘だと睨んでおりますとね、一人の若者がその娘を、見初めてしまったじゃアありませんか。これは困ったと思いましたよ。と云うのは不幸なその若者を、元から私が知っていたからです。……他でもありませんあなたなのです。そうして娘はお小夜なのです」
珠太郎がにわかに興奮して、恐ろしい勢いで食ってかかるのを、我輩は笑いながら黙殺してやった。
(もうこれ以上云うことはない。これからはただ見せるまでだ)つまりこんなように思ったからだ。
浜へ出ると風が吹きつけて来た。わけても強い風であって、波頭が次々に無数に砕けて、見渡す限り月の海上は、白衣の亡者が踊っているようであった。
我々は北の方へ歩いて行った。そうして岩の岬を越えた。珠太郎は恐ろしく不機嫌でもあれば、どうしてこんな変な方角へ、連れて来られたのか不可解だと、そう思っているようなところがあった。が、我輩には考えがあるので、説明してもやらなかった。
海の方へ少し突き出して、その裾が窪んで穴をなしている、そういう岩があったので、その穴の入り口へ腰を下ろし、我々はしばらく休むことにした。と云っても我輩から云う時は、ここで休むということが、予定の行動になっていたのだが。……
真夏ではあったが夜は涼しく、それに馨《かぐ》わしい磯の香はするし、この辺に多く住んでいる鵜が、なまめかしく啼いたり羽搏きをしたりして、何んとも云えない風情であった。
が、我輩は待っていた。早く彼女が来ればよいと。すると松林の方角から、砂を踏む音を幽《かす》かに立てて、こっちへ走って来る足音がした。足音は岩の辺で止まったが、またすぐに聞こえて来た。どうやら岩の上へ上るらしい。ややあって衣摺《きぬず》れの音がした。
「珠太郎殿、海の方をご覧」
放心したように考え込んでいる、珠太郎へ我輩は小声で云った。
「素晴らしいものが見られますよ」
不承不承に珠太郎は、海の方へ眼をやった。もちろん我輩も海の方を見た。と、その二人の視界の中へ、真っ白の物が躍り込んで来た。我々の頭上の岩の頂から、素裸体《すっぱだか》のお小夜が海へ向かって飛び込みをやった形なのさ。
水音! 飛沫《しぶき》! 水底へ消えた彼女! が、すぐに浮き出して、泳いで行く島田髷と肩と腕!
「あッ、お小夜だ! お小夜だお小夜だ!」
「さよう、お小夜です。大変なお小夜です。……帰って来るまで見ていましょう」
かなりの時間が経った時、彼女、お小夜は帰って来た。ヌックリと海から陸へ上がり、ノシノシと岩へ上がって行こうとした。
「オイ勘介! 女勘介!」
隠れ場所から身を現わしながら、こう我輩は声をかけてやった。
「ここにお前の情夫がいるんだ。何んて馬鹿な真似をやらかすんだ。……素裸体《すっぱだか》とは呆れたなあ。……珠太郎殿、お解りですか、あいつは女ではありませんよ。……オイ――勘介、女勘介、他の連中にも云ってやれ、まごまごみよし屋の寮なんかにいるなと! ……」
同じ夜我輩は館林様を連れ出し、月夜を賞しながら彷徨《さまよ》った。
「誰かが先駆者にならなければいけない」
館林様は我輩に説いた。
「貝を吹き旗差し物をかざし、進む者がなければいけないのだ。でなければいつまでも悪い浮世は悪い浮世のままで居縮《いすく》んでしまう」
「そこであなた様が先駆者となって、事を起こそうとなさいますので?」
「うん」と館林様は仰せられた。「まずそう云ってもいいだろう」
四
「結構なことではございますが。……」我輩は故意《わざ》と皮肉に云った。「先に立って進むはよろしゅうございますが、さて背後《うしろ》を振り返って見て、従《つ》いて来る者のないのを見た時、寂しさ一層でございましょう」
「馬鹿な」と館林様は一笑した。「裏切られたらと云うのだろうが、わし[#「わし」に傍点]の部下にはそんな者はいない。裏切り者など一人もいない」
振り返って見ると灯火の光が、まだ丸田屋の夏別荘の、大広間から射していた。浪人達は飲んでいるのである。一晩飲み明かすに相違ない。
私達は丘を下りた。それから街道を左へ曲がり、さらに左へ空地を横切った。
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