何んですかな?」
 大仏師の民部がすぐ訊いた。彼はまたの名を扇遊とも云って、英《はなぶさ》一蝶とは親友であったが、人を殺した事さえある胆の太い兇悪な男である。
「なにさ、近頃評判の高い、白縮緬組の悪戯《いたずら》をフイと思い出したと云うことさ」
「ああ彼奴らでございますか。いや面白い手合いですな。さすがの北条安房守様も手が出せないということですな」
「相手が千代田の御殿女中と来ては町奉行には手は出せまいよ」
「と云って見す見す打遣《うっちゃ》って置くのも智恵がないじゃございませんか」
「全く智恵がありませんな」こう云って横から口を出したのは、商人で医者を兼ねた半兵衛であった。村田というのがその姓で、聞き香、茶の湯、鞠、※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]花、風流の道に詳しい上に、当代無類の美男であったので「色の村田の中将や」と業平《なりひら》中将に例えられて流行唄《はやりうた》にさえ唄われた男。やはり取り巻の一人であった。
「全く智恵がありませんな。それに第一不都合じゃ。悪戯をするに事を欠いて、御殿女中ともあろう者が白縮緬《しろちりめん》で顔を隠し、深夜に町家へ押し入って押し借りをするのを咎められないとは、沙汰の限りではありませんかな」
「いかにも沙汰の限りではあるが、さてそれがどうにも出来ないのじゃ」玄龍は苦笑を頬に浮かべ、「どうにもならないその訳も色々あるが迂濶《うかつ》には云えぬ。迂濶にいうと首が飛ぶ。軽くて遠島ということになる」
「へえ、遠島になりますかな? いやこいつはたまらない」半兵衛は首を縮めたが、「変な時世になったものじゃ。私《わし》には一向解らない」
 すると、座敷の隅の方で、其角《きかく》を相手に話し込んでいた英《はなぶさ》一蝶が坊主頭を、半兵衛の方へ振り向けたが、
「石町《こくちょう》、焼きが廻ったの。それが解らぬとは驚いたな」
「お前には解っているのかえ?」
「解っているとも大解りじゃ」
「一つ教えて貰いたいな」
「生類憐れみのあのお令《ふれ》な。あれに触れたら命がない。それはお前にも解っていよう?」
「それがどうしたというのだえ?」
「これはいよいよ驚いた。これまでいっても解らぬかな……今の話の白縮緬組、南都の悪僧が嗷訴《ごうそ》する時|春日《かすが》の神木を担《かつ》ぎ出すように、お伝の方の飼い犬を担ぎ
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