たのは、吉兵衛貴様の仕業《しわざ》でないか。その日から今日まで気が射《さ》すかして、一度も顔を見せなかったので、怨みを晴らす折りもなかったが、今日捉えたからは百年目、どうでも坊主にせにゃならぬ! さあさあ皆、吉兵衛めを動かぬように抑えてくれ。俺が自分で手を下ろしてクリクリ坊主にひん剥いてやる!」
四
涙を流して詫びた甲斐もなく、ついに吉兵衛は髻《もとどり》を払われ、座敷から外へ追いやられた。
こんな騒ぎに日が暮れて、間ごとに燈灯が華やかに灯り、艶《なまめ》かしい春の夜となった。
今日は一度も浦里は座敷へ顔さえ出さなかった。奈良茂の機嫌は益※[#二の字点、1−2−22]傾き民部や半兵衛の追従口もどうすることも出来なかった。
ちょうどこの夜の丑満時のこと、隅田川に沿った駒形の土手を、静かに歩いて行く三人連れがある。紅縮緬で覆面をし燦《きらび》やかの大小を落とし差しに佩《は》き、悠然と足を運ぶ様子に、腕に自信のあることが知れる。
真っ先に進むは若衆と見えて匂うばかりの振り袖に紅の肌着の袖口長く、茶宇の袴の裾を曳き、気高い態に歩いて行く。その次に行くのは女であった。時鳥《ほととぎす》啼くや五尺の菖蒲《あやめ》草を一杯に刺繍《ぬいと》った振り袖に夜目にも著《しる》き錦の帯をふっくりと結んだその姿は、気高く美しく※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ろう》たけて見える。最後に進むは奴姿《やっこすがた》の雲突くばかりの大男でニョッキリ脛《はぎ》を剥き出しているのもそれらしくて勇ましい。
空には上弦の初夏の月が、朧《おぼ》ろに霞んだ光を零《こぼ》し、川面を渡る深夜の風は並木の桜の若葉に戦《そよ》いで清々《すがすが》しい香いを吹き散らす。
三人の者は話さえせずただ黙々と歩いて行く。厩橋《うまやばし》を南に渡りやがて本所へ差しかかった。
と、先頭の若衆が、ピタリと足を止めたものである。三人は顔を見合わせた。それから蝙蝠《こうもり》の飛んだかのように、人家の一つの表戸へ三人ながら身を寄せた。月光を軒が遮《さえぎ》るのか、三人の潜んだその辺は、烏羽玉《うばたま》の闇に閉ざされている。
その時、往来の遙かあなたから、一団の人影が現われたが、女乗り物を真ん中にしてタッタッタッと進んで来る。近寄るままよく見れば白縮緬で顔を隠した十人
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