りました。それが鳥羽伏見二日の戦で、四十五人となり、江戸へ帰って来た現在では、僅か十九人……」
「いやいや」
 と勇は忙しく手を振った。
「それがの、今度、松本先生のお骨折りで、隊土を募ったところ、二百人も集まって来た。いずれも誠忠な、剣道の達人ばかりだ。……それに、勝《かつ》安房守《あわのかみ》様より下渡《さげわた》された五千両の軍用金で、銃器商大島屋善十郎から、鉄砲、大砲を買取り、鎮撫隊の隊士一同、一人のこらず所持しておる、大丈夫じゃ。……そればかりでなく、駿河守殿は、生粋の佐幕派、それに、城兵も多数居る。……人数にも兵器にも事欠かぬ。……だから君は充分ここで静養して……」
「先生、私の病気など何んでもないのです」
「それが然《そ》うでない。松本先生も仰せられた……」
「良順先生が……」
「そうだ、松本良順先生が仰せられたのだ。沖田だけは、従軍させては不可《いけ》ないと」
「…………」
「松本先生には、君は、一方《ひとかた》ならないお世話になった筈だ」
「現在《ただいま》もお世話になっております」
「柳営の御殿医として、一代の名医であるばかりでなく、豪傑で、大親分の資を備えられた松本先生が、然う仰せられるのだ。君も、これには反対することは出来まい」
「はい」
 総司は黙って俯向《うつむ》いて了った。

   思出の人

 総司は、良順の介抱によって、今日|生存《いきながら》えているといってもよいのであった。はじめ総司は、他の新選組の、負傷した隊士と一緒に、横浜の、ドイツ人経営の病院に入れられて、治療させられたのであったが、良順は
「沖田は、怪我ではなくて病気なのだから」
 と云って、浅草今戸の、自分の邸へ連れて来て療治したが
「この病気(肺病)は、こんな空気の悪い、陽のあたらない下町の病室などで療治していたでは治らない」
 と云い、この千駄ヶ谷の植甚の離れへ移し、薬は、自分の所から持たせてやり、時には、良順自身診察に来たりして、親切に手を尽くしているのであった。この良順に
「甲府への従軍は不可《いけな》い」
 と云われては、総司としては、義理としても人情としても、それに反《そむ》くことは出来なかった。
 総司が、従軍を断念したのを見ると、勇は流石《さすが》に気毒そうに云った。
「その代り、わしが君の分まで、この刀で、土州の奴等や薩州の奴等を叩斬るよ」
 と云い、刀屋から、虎徹《こてつ》だと云って買わせられた、その実、宗貞の刀の柄を叩いてみせた。すると総司は却って不安そうに云った。
「しかし先生、これからの戦いは、刀では駄目でございます。火器、飛道具でなければ。……先生は、負傷しておられて、鳥羽、伏見の戦いにお出にならなかったから、お解りにならないことと思いますが、官軍の……いいえ、薩長の奴等の精鋭な大砲や小銃に撃捲《うちまく》られ、募兵は……新選組の私たちは散々な目に……」

 この夜、燈火《ともしび》の下で、総司とお力とは、しめやかに話していた。従軍を断念したからか、総司の態度は却って沈着《おちつ》き、容貌《かお》なども穏やかになっていた。
「妾《わたくし》、あなた様から、お隠匿《かくまい》していただきました晩、あなた様、眠りながら、お千代、たっしゃかえ、たっしゃでいておくれと仰有《おっしゃ》いましたが、お千代様とおっしゃるお方は?」
 と、お力は何気無さそうに訊いた。
「そんな寝言、云いましたかな」
 と総司は俄に赧《あか》い顔をしたが、
「京都にいた頃、懇意にした娘だが……町医者の娘で……」
「ただご懇意に?」
 とお力は、揶揄《やゆ》するような口調でいい、その癖、色気を含んだ眼で、怨ずるように総司を見た。
 総司は当惑したような、狼狽《ろうばい》したような表情をしたが、
「ただ懇意にとは?……勿論……いや、併《しか》し、どう云ったらよいか……どっちみち、私は、これ迄に、一人の女しか知らないので」
 お力は思わず吹出して了った。
「まあまあそのお若さで、一人しか女を。……でもお噂によれば、新選組の方々は、壬生《みぶ》におられた頃は、ずいぶんその方でも……」
「いや、それは、他の諸君は……わけても隊長の近藤殿などは……土方殿などになると、近藤殿以上で。……ただ私だけが、臆病《おくびょう》だったので……」
「これ迄に、二百人もお斬りになったというお噂のある貴郎《あなた》様が臆病……」
「いや、女にかけてはじゃ。人を斬る段になると私は強い!」
 と、総司は、グッと肩を聳《そびや》かした。痩《や》せている肩ではあったが、聳かすと、さすがに殺気が迸《ほとばし》った。
 お力はヒヤリとしたようであったが、
「お千代さんという娘さんが、その一人の女の方なのでしょうね」
「左様」
 と迂闊《うっか》り云ったが、総司は、周章てて
「いや……」
「いや?」
「矢っ張り左様じゃ」
「よっぽど可《よ》い娘さんだったんでございましょうね」
「うん」
 と、ここでも迂闊り正直に云い、又、周章てて取消そうとしたが、自棄のように大胆になり、
「初心《うぶ》で、情が濃《こま》やかで……」
「神様のようで……」
「うん。……いや……それ程でもないが……親切で……」
「そのお方、只今は?」
「切れて了った!」
 こう云った総司の声は、本当に咽《むせ》んでいた。
「切れて……まあ……でも……」
「近藤殿の命《めい》でのう」
「何時《いつ》?」
「江戸への帰途。……紀州沖で……富士山艦で、書面《ふみ》に認《したた》め……」
「左様ならって……」
「うん」
「可哀そうに」
「大丈夫たる者が、一婦人の色香に迷ったでは、将来、大事を誤ると、近藤殿に云われたので」
「お千代様、さぞ泣いたでございましょうねえ。……いずれ、返書《かえし》で、怨言《うらみごと》を……」
「返書《へんしょ》は無い」
「まあ、……何んとも?……それでは、女の方では、あなた様が想っている程には……」
「莫迦《ばか》申せ!」
 と、総司は、眼を怒らせて呶鳴《どな》った。
「お千代はそんな女ではない! お千代は、失望して、恋いこがれて、病気になっているのじゃ!……と、わし[#「わし」に傍点]は思う。……病気になってのう」
 総司は膝へ眼を落とし、しばらくは顔を上げなかった。部屋の中は静かで、何時の間に舞込んで来たものか、母指《おやゆび》ほどの蛾《が》が行燈の周囲《まわり》を飛巡り、時々紙へあたる音が、音といえば音であった。総司は、まだ顔を上げなかった。お力は、その様子を見守りながら、(何んて初心《うぶ》な、何んて生一本な、それにしても、こんな人に、そう迄想われているお千代という娘は、どんな女であろう?……幸福《しあわせ》な!)と思った。と共に、自分の心の奥へ、嫉妬《ねたましさ》の情の起こるのを、何うすることも出来なかった。

   親友は討ったが

「あのう」
 と、ややあってからお力は、探るような声で云った。
「細木永之丞というお方は、どういうお方なのでございますの?」
「ナニ、細木永之丞※[#感嘆符疑問符、1−8−78] どうしてそのような名をご存知か」
 と、総司は、さも驚いたように云った。
「矢張りお眠《よ》ったままで『済まん、細木永之丞君、命令だったからじゃ、済まん』と、仰有《おっしゃ》ったじゃアありませんか」
「ふうん」
 と総司は、いよいよ驚いたように、
「さようなこと申しましたかな。ふうん。……いや、心に蟠《わだかまり》となっていることは、つい眠った時などに出るものと見えますのう。……細木永之丞というのは、わし[#「わし」に傍点]の親友でな、同じ新選組の隊士なのじゃが、故あって、わしが討取った男じゃ」
「まア、どうして?……ご親友の上に、同じ新選組の同士を?」
「近藤殿の命令だったので……」
「近藤様にしてからが、同士の方を……」
「いや、規律に反《そむ》けば、同士であろうと隊士であろうと、斬って捨てねば……細木ばかりでなく、同じ隊士でも、幾人となく斬られたものじゃ。……近藤殿の以前の隊長、芹沢鴨殿でさえ――尤もこれは、何者に殺されたか不明ということにはなっているが、真実《まこと》は、土方殿が、近藤先生の命令によって、壬生の営所で、深夜寝首を掻《か》かれたくらいで。……だがわしは細木を斬るのは厭だったよ。永之丞は可《よ》い男でのう、気象もさっぱりしていたし、美男だったし……尤も夫れだから女に愛されて、その為め再々規律に反き、池田屋斬込みの大事の際にも、とうとう参加しなかった。これが斬られる原因なのだが、その上に彼が溺《おぼ》れていた女が、どうやら敵方――つまり、長州の隠密らしいというので……」
「まあ、隠密?」
「うむ。それで、味方の動静が敵方に筒抜けになっては堪らぬと、近藤殿が涙を呑んで、わし[#「わし」に傍点]に斬ってくれというのだ。しかし私は『細木を斬ることばかりは出来ません。あれは私の親友ですから。……もし何うしても斬ると仰せられるなら、余人にお申付け下さい』と拒絶《ことわっ》たのじゃ。すると近藤殿は『親友に斬られて死んでこそ、細木も成仏出来るであろうから』と仰せられるのじゃ。そこで私も観念し、一夜、彼を、加茂河原へ連出し、先ず事情を話し『その女と別れろ、別れさえしたら、私が何んとか近藤殿にとりなし[#「とりなし」に傍点]て……』と云ったところ……」
 ここで総司は眼をしばたたいた。
 お力は唾《つば》を飲んだが、
「何と仰有いました?」
「別れられないと云うのだ」
「…………」
「そこで私《わし》は、では逃げてくれ、逃げて江戸へなり何処へなり行って、姿をかくしてくれと云うと、俺を卑怯者《ひきょうもの》にするのかと云うのだ。……もう為方《しかた》がないから、では此処で腹を切ってくれ、私が介錯《かいしゃく》するからと云うと、それでは、近藤殿から、斬れと云われたお前の役目が立つまいと云うのだ。私は当惑して、では何うしたらよいのかというと、お前と斬合ったでは、私に勝目は無いし、斬合おうとも思わない、私は向うを向いて歩いて行くから、背後《うしろ》から斬ってくれと云い、ズンズン歩いて行くのだ。月の光で、白く見える河原をなア。背後《うしろ》から何んと声をかけても、もう返辞をしないのだ。……そこで私は、……背後から只一刀で……首を!……綺麗に討《う》たれてくれたよ」
 息を詰めて聞いていたお力は(それじゃア永之丞さんは、話合いの上でお討たれなされたのか。……では総司さんを怨《うら》むことはないわねえ)と思いながらも、矢張り涙は流れた。その涙を隠そうとして、窓の方を向いた。すると、その窓へ、小石のあたる音がした。お力はハッとしたようであったが、
「蒸し蒸しするのね」
 と独言のように云い、立って窓際へ行き、窓を開けた。暈《かさ》をかむった月に照らされて、身長《せい》の高い肩幅の広い男が、窓の外に立っていた。
 お力は窃《そ》っと首を振ってみせ、すぐに窓を閉め、元の座へ帰って来た。
 総司は俯向いていた。自分が斬った、不幸な友のことを追想しているらしい。
「沖田様」
 とお力は、総司のそういう様子を見詰めながら、
「妾《わたし》を何う覚召して?」
「何うとは?」
「嫌いだとか、好きだとか?」
「怖い」
「怖い? まあ」
「親切な人とは思うが……何んとなく怖い!……それにわし[#「わし」に傍点]にはお千代というものがあるのだから……」
「お切れなされたくせに」
「強いられたからじゃ。……心では……」
「心では?」
「女房と思っておる。……それでもうお力殿には今後……」
「来ないように」
「済まぬが……」
「妾は参ります。……貴郎《あなた》様はお嫌いなさいましても、妾は、あなた様が好きでございますから。……それがお力という女の性《しょう》でございます」
(おや?)とお力は聞耳を立てた。
 池へ落ちている滝の音が、その音色を変えたからであった。
(誰かが滝に打たれているようだよ)
 然《そ》う、単調に聞えていた水音が、時々滞って聞えるのであった。
(可笑しいねえ)

   良人《
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