田総司なら……」
しかしその時、流弾が、隊士の胸を貫いた。隊士は斃《たお》れた。お千代は仰天し、走寄って介抱したが、もう絶命《ことき》れていた。
(妾ア何処までも総司様の生死を確める)
と、お千代は、疲労と不安とで、今にも気絶しそうな心持の中で思った。
(そうして、総司様の前で、総司様から下された、縁切りのお手紙をズタズタに裂いて、妾は云ってあげる「いいえ、妾は、総司様の女房でございます」って)
そのお千代が、下総流山の、近藤勇たちの屯所の門前へ姿を現わしたのは、四月三日のことであった。近藤勇や土方歳三などが、脱走兵鎮撫の命を受け、幕府から、この地へ派遣されたと聞き、恋人の総司もその中にいるものと思い、訪ねて来たのであった。しばらく門前に躊躇《ちゅうちょ》していると、門内から、二人の供を従え騎馬で、近藤勇が現われた。
「近藤様!」
と叫んで、お千代は、馬の前へ走出し、
「沖田様は※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
「お千代か!」
と勇は、さもさも驚いたように云った。
「沖田か、沖田は江戸に居る。千駄ヶ谷の植木屋植甚という者の離座敷で養生いたしておる。……詳しいことも聞きたし、話しもしたいが、わしは是から、越ヶ谷《こしがや》の、官軍の屯所へ呼ばれて出頭するので、ゆっくり話しておれぬ。……わしの帰るまで、屯所内《ここ》で休んでおるがよい。知己《しりあい》の土方が居る」
と云いすてると、馬を進めた。
四月十一日、江戸城が開き、官軍が続々ご府内へ入込んで来た頃、沖田総司は、臨終の床に在った。枕元には、植甚や、その家族の者が並んで、静まり返っていた。過ぐる晩、お力がやって来て切りかかったのを防いだ時、大咯血をし、それが基で、総司の病気は頓《とみ》に悪化したのであった。近藤勇が、官軍の手で、越ヶ谷から板橋に送られ、其処《そこ》で斬られたということなども、総司の死を、精神的に早めたのでもあった。不幸なお千代が、やっと植甚の家を探しあてて、訪ねて来たのは、この日であった。植甚の人達は、以前からお千代のことは聞いて知っていた。それと知ると、お千代を直ぐに総司の枕元へ進《つ》れて来た。
「沖田様!」
とお千代は、もう眼も見えないらしい、総司に取縋り、耳に口を寄せて呼んだ。
「お千代でございます! 京都から訪ねて参った、お前の女房、お千代でございます!」
その声が心に通ったとみえて、総司の視線がお千代の顔へ止まった。
「お千代!……わしの女房!……然うだ!」
しかしその顔に俄に憎悪の表情が浮かび、
「おのれ、お力イ――ッ」
と云った。それが最後の言葉であった。
翌月の十五日に始まったのが、上野の彰義隊の戦いであった。徳川幕府二百六十年の恩誼《おんぎ》に報いようと、旗本の士が、官軍に抗しての戦いで、順逆の道には背いた行為ではあったが、義理人情から云えば、悲しい理の戦いでもあった。しかし、大勢《たいせい》は予め知れていて、彰義隊の敗れることには疑い無かった。江戸の人々は、一日も早く、世間が平和になるようにと希望《のぞ》みながら、家根へ上ったり、門口に立ったりして、上野の方を眺めていた。長州の兵は、根津と谷中《やなか》から、上野の背面を攻めていた。その戦いぶりを見ようとして、権現様側に集まっていた群集の中に、お力もいた。髪を綺麗に結び、新しい衣裳《いしょう》を着ていた。沖田総司を殺しそこなった晩、これも行きがけの駄賃に、池の沖へ潜込み、盗み出した幾十枚かの小判が、まだ身に付いているらしく、様子が長閑《のどか》そうであった。島原の太夫《たゆう》から宮川町の女郎《おやま》、それから、隠密稼ぎまでしたという、本能そのもののようなこの女は、もう今では、細木永之丞のことも沖田総司のことも念頭に無いらしく、群集の中の若い男へ、万遍なく秋波を送っていた。しかしその時、背後から
「こいつがお力だ」
という聞覚えのある声がしたので、驚いて振返って見た。植甚が群集の中に立って睨んでいた。
あッと思った時、一人の娘が、植甚の横手から、自分の方へ走寄って来た。
「沖田さんの敵《かたき》!……妾《わたし》の怨み!」
「お千代!」
お力は、匕首を、自分の鳩尾《みずおち》へ刺通したお千代の手を両手で握ったが、
「ああ……お前さんに殺されるなら……妾にゃア……怨みは云えないねえ」
と云い、ガックリとなった。
上野山内から、伽藍《がらん》の焼落ちる黒煙が見えた。幕府という古い制度の、最後の堡塁《とりで》であった彰義隊の本営が、壊滅される印の黒煙でもあった。
「片がついた」
と植甚は、お千代を介抱しながら、黒煙を仰ぎ、感慨深そうに云った。
(何も彼も是《これ》で片がついた)
底本:「新選組興亡録」角川文庫、角川書店
2003(平成15)
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