ルにそっと囁いた。しかしレザールにはその美人が怪しい曲者とは見えなかった。そんなことよりも張コックが先刻持っていた西域の地図を、明日解雇を云い渡してからどうしたら取り上げることが出来るかとそればかりを懸命に考えていた。
……しかし実際には、張料理人を解雇することは出来なかった。解雇することが出来ないばかりか彼らは彼に助けられた。と云うのはオムスクへ着かない前、その夜のちょうど十二時頃に、車中に恐ろしい事件が起こって彼らを全滅させようとしたのを張がいちはやく助けたのであった。
事件というのはこうである――
夜が更けるに従って天候は益※[#二の字点、1−2−22]悪くなって怒濤《おおなみ》のような音を立てて吹雪が車窓へ吹きつけて来た。車内の乗客は玻璃窓を閉じ鎧戸までも堅く下ろして、スチームの暖気を喜びながら賑やかにお喋舌《しゃべ》りをつづけていた。するとそのうち人々は次第に談話《はなし》を途切らせた。そうして皆睡気を感じて寝台へ行く人が多くなった。ラシイヌも睡気を感じたので立ち上がって寝台へ行こうとした。不思議とどうにも体が弛《だる》い。「変だぞ」と彼は呟きながら室の内をいそいで見廻
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